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終活日記
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世の中のこと自分のこと、過去のこと今のこと、気ままに思いつくままに書いてみる。 
この年になれば断捨離で何もかも捨ててしまいたくもなるが、思い出やこれまでの人生まで捨ててしまいたくはない!
いつか誰かが読んでくれるかも知れない。一つ一つ真面目に書いて行こう。
時代の波に乗って幸せな人生を築かせて頂いたが、このまま何もせずに人生の終焉を迎えたくはない。
今の世の中の価値観というか、大きくズレてしまっているように思えてならない。大切なものは何かを見失っては価値がない。
人それぞれだが、自分の考えや想いを天の声を聞きながら、世の人に発信してみるのも良いのではないか?

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「人づくり革命」って、革命なの?・・・

2017/12/06 09:18
 幼児教育、高等教育の無償化を柱とした安倍内閣の看板政策「人づくり革命」に2兆円、これは単なる消費税増税分のバラマキ政策ではないのか! どうして「革命」なる言葉が使われるのか? 人づくりにどんな秘策が、どんな改革が盛り込まれるのか? 増税をして、しかも借金も先送りしてこちらに予算を回すことにしただけではないのか?
 「革命」と言えば「フランス革命」「ロシア革命」「文化大革命」、あるいは「産業革命」「流通革命」「IT革命」などが思い浮かぶように政治や産業、技術などの一大変革があった時に使われる言葉だと思う。 軽々しく「革命」なる言葉を使ってもらいたくはない。 あの失言暴言、スキャンダルだらけの政治家たちの幼稚さからこんな言葉がまかり通るのではないのか。 
 「人づくり」とは何か、新しいシステムの導入や意識改革などの手法によって人材を発掘し育てること。お金をバラマク、予算を付けることは単なる低所得者への支援ではないのか。その支援方法が全く革命的だと言えるのか。

 本気になってやらなければならないのは大人たちの「人づくり革命」ではないのか!
国を背負って立つ政治家達の意識改革、公僕たるべき役人達の再教育、それこそ人づくりの責任を担う教育者達の資質改革・・・等によってこそ子供達への「人づくり改革」が出来るのではないだろうか。
 我々民間の企業では熾烈な競争に勝ち抜くために、どの企業も「人づくり」から始めたと思う。 日本の企業が世界に誇る企業に成長したのはこの「人づくり」によること間違いなし。
 「人づくり」のロードマップをしっかり創って、それに見合う予算が付けられることには異議はない。
 大事なことを抜きにして看板だけ掲げるのはもうやめて欲しいと切に訴える。 

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久しく待ちにし 主よとく来たりて・・・旧讃美歌94番

2017/12/03 15:15
 今日から主を待ち望むアドベント、待降節第一主日を迎え、燭台の1本のロウソクに火が燈されました。
 イスラルの民は栄華を極めた時代もありましたが、国を奪われ神殿を破壊され、奴隷や囚われの身となり様々な苦しみを味わってきました。 そんな苦難の中、救世主が来ることを切に待ち望んでいました。

『主が、あなたがたに負わせられた苦痛と悩みと厳しい労役から、あなたを解き放たれる日が来る。
そのとき、あなたはバビロンの王に対して、この嘲りの歌をうたう。』
(旧約聖書:イザヤ諸4章3〜4節)

 私たちは今どうでしょう。昔のような切実な苦しみはなくともいつも不安にかられるています。
 いつ再び戦争が起きるかしれない、いつ大地震や自然災害が起こるかしれない、いつ残虐な事件、事故に巻き込まれるかしれない、いつ身近な人あるいは自分の身に病魔が死が襲ってくるかしれない・・・。
  どうかこのような不安に駆られている私たちをお守りください。 私たちを一人にしないで下さい。 主がいつも私たちと共にいてくださり、来たるべき日まで平安の日々を過ごさせてください。

旧讃美歌 94番「待降」

久しく待ちにし 主よとく来たりて、
み民のなわめを 解き放ちたまえ。
主よ主よ、み民を 救わせたまえや。

あしたの星なる 主よ、とく来たりて、
お暗きこの世に み光をたまえ。 
主よ主よ、み民を 救わせたまえや。

メロディはこちらからどうぞ⇒ https://youtu.be/1jxc9ef2efE 
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神ともにいまして行く道を守り・・・讃美歌465番

2017/11/17 11:49
 お別れの時、寂しい想いがあります。 そんな時、この讃美歌「神ともにいまして・・・」を歌い慰められます。 「また会う日まで神さまのお恵みがありますように!・・・」 と。

神ともにいまして ゆく道をまもり、 日ごとのの糧もて つねに支えたまえ。
また会う日まで、また会う日まで、 神のめぐみ たえせず共にあれ。

荒れ野をゆくときも、あらし吹くときも、 ゆくてをしめして 導きたまえ、主よ。
また会う日まで、また会う日まで、 神のめぐみ たえせず共にあれ。

み国に入る日まで いつくしみひろき みつばさのかげに はぐくみたまえ、主よ。
また会う日まで、また会う日まで、 神のめぐみ たえせず共にあれ。

  
メロディはこちら(You Tube)⇒https://youtu.be/M6DDVCia38k 
 
  
新約聖書 マタイによる福音書 28章20節

  『わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる』
 

                 
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悲劇の天正遣欧少年使節たちの運命

2017/11/11 15:50
 11月9日NHKのBS放送で『悲劇のキリシタン弾圧・・・大人になった天正遣欧使節の決断』と題する話題が取り上げられていました。 かって、五島列島を訪ねた際、キリシタンの迫害や弾圧の悲劇について思い知らされたが、遣欧使節団の少年たちが派遣されたことは知っていましたが、その後のことはあまり知りませんでしたので、改めてここにその運命について知ることとなりました。

 戦国の乱世の最中、奇しくもフランシスコ・ザビエルが初めて日本にキリスト教を伝え、南蛮貿易と共に目まぐるしい勢いで広まっていきました。(キリシタン人口:1581年15万人、1600年30万人、1614年37万人と言われている)
 当時の宣教師ヴァリニャーノは日本宣教の経済的・精神的援助を依頼すること、また日本の少年たちにキリスト教世界を見聞・体験させ、帰国後にその栄光、偉大さを自ら語らせることにより、布教に役立てたいという思惑によって使節団を派遣することになりました。
 当時13歳前後の少年たち4名はそれぞれ成功を収めていたキリシタン大名の名代として選ばれた将来を嘱望された少年達でした。
 1582年2月長崎を出発して2年半、ポルトガルに着き、スペイン、イタリアとそれぞれの国の国王に歓待され、教皇にも謁見することが出来、使節としての目的を十二分に発揮できました。 1年と8ヶ月の滞在を経て、日本に帰国したのが1590年の7月、実に8年5か月の月日が経っていました。
 
 その間に1587年豊臣秀吉のバテレン追放令が出され、キリシタン弾圧が始まり、1597年には長崎における26聖人が処刑されると言う悲劇がありました。 更に、1603年徳川幕府となり、家康の禁教令、2代目将軍秀忠による元和の大殉教が全国に広がり(1615年〜)、何百名というキリシタンが処刑される事態となりました。

 少年達はすでに20歳を過ぎていましたが、帰国後、イエズス会に入会し、その後10年間、司祭になるために勉強に励み、一人を除いて3名は司祭となり、弾圧の最中、信徒組織の統率、布教活動の傍ら洋書の翻訳や出版活動にも携わっていました。

 将来を嘱望された少年達の運命は、戦国乱世の為政者たちによって翻弄された悲しい運命であった。一人は謎の棄教、一人は病気による早死、一人は国外追放、一人は潜伏宣教20年、捕縛され何度も拷問を受け棄教を迫られたが信仰を捨てず、最後は穴刷りの刑による殉教であった。
 
 弾圧の理由は何だったのか? これほどまでに大名のみならず庶民のキリシタンをも全滅するまでに追い込んだ理由は何なのか?  一国の、一為政者の安泰のために、人の命が軽んじられる世の中はいつの時代も同じなのか・・・。

使節団の顔ぶれ
伊東マンショ(主席正使)1569年頃〜1612年 大友宗麟の名代。宗麟の血縁。日向国主伊東義祐の孫。後年、司祭に叙階される。1612年長崎で死去。(43歳?)
千々石ミゲル(正使)1569年〜? 大村純忠の名代。純忠の甥で有馬晴信の従兄弟。後に棄教。晩年不祥
中浦ジュリアン(副使)1569年頃〜1633年 大村純忠の家臣の子、司祭に叙階。20年潜伏布教、1632年投獄、1633年長崎で穴づり処刑。処刑場にて「私はローマを見た中浦神父である」と言い殉死する。2007年に福者に列せられる。(64歳?)
原マルティノ(副使)1569年頃〜1629年 大村純忠家臣の子、司祭に叙階。1629年、追放先のマカオで死去。(60歳)





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初冠雪の紅葉・・・立山黒部

2017/11/04 11:41
 ちょっと遅すぎましたが、忘れ得ぬ紅葉の絶景を思い出したので記録しておきたいと思います。
今から10年ほど前の10月20日前後、毎年恒例となっていた6人兄弟夫婦の山歩き、この時は立山黒部の旅でした。
 立山天狗荘に2泊して、天狗平から弥陀ヶ原、地獄谷、雷沢、みくりが池、室堂平、天狗平へ戻る上りの多い山歩きで年寄りには大変なコースでした。
画像剣岳を望む
 天狗平の山荘で着替えをし、出発。 間もなく良く晴れた秋の空、天高く聳える剣岳が目の前に現れました。お山はもう紅葉が過ぎているようでしたが、青空に堂々と立っている姿に感動です。お山はお天気がなりよりです。
画像靄にけぶる弥陀ヶ原
 天狗平、弥陀ヶ原を散策、紅葉真っ盛り、靄にけぶる素晴らしい紅葉が見られました。
画像地獄谷
 やがて噴煙にけぶる地獄谷に到着。 その上の方に岩なのか紅葉している木なのか、間違いなく紅葉だと思える赤く染まったものが見えました。
画像
画像
雷沢からミクリヶ池へ
 雷沢あたりから急登です。今日は初冠雪の日となりました。紅葉も見られ雪景色も見られると言うラッキーな日となりました。 ただ、雪の山道は滑るので大変でした。
 
画像ミクリヶ池
 雪山に映えるミクリヶ池とてもきれい。 ミクリヶ池には温泉施設があり、みんなでひと風呂浴びて疲れをとり、また元気をだして室堂を経て出発地の天狗平まで自由行動で帰ることにしました。 近くの山に登る者、雷鳥を捜しに散策するものそれぞれでした。
画像天狗平での夕日
 西の山々が雲海に沈む中、荘厳な夕日を撮ることが出来ました。
 この夜は山荘のオーナーとビデオを見ながら素晴らしい話を聞かせてくれました。それはオーナーの息子さんがまだ小学生にも拘らず、親の背中を見ながら、立山周辺の山々を踏破し、来年には富士山に登ると言う親子の強い絆を語ってくれました。
画像画像画像画像

黒部平の紅葉
 室堂からバスやロープウエイを乗り継いで黒部平につく。 素晴らしい紅葉の絶景が待っていた。
黒部ダム
 黒部湖の周辺も紅葉の真っ盛り。 ダムの高台に登ってしばし物思いに耽る。
 
 これまで長野や北海道の山々を歩き、ハワイまで出かけることもあった。 兄弟みんな達者で山歩きが好きだった。特に妹夫婦は山男山女と言われるほどで、いつもこの旅の計画から手配まで引き受けてくれたおかげで楽しい思い出を作ってくれた。 あれから10年しか経たないのにみんなすっかり足が弱り、旅は続けられなくなってしまったのはやむを得ないことと思う今日この頃である。


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本末転倒の「髪染め強要」・・・不登校生の訴え

2017/10/30 13:08
 生まれつき茶色の髪の毛の高校生が、学校から黒く染めるようにと強要され、精神的な苦痛や差別で不登校になり、いつの間にか退学扱いにされていた。
中学でもこのような指導を受けたので、母親は学校側に配慮を求めていたと言う。それにも拘らず、学校側はしつこく黒染めを強要したため、それに従ったものの頭皮はかぶれ、髪もボロボロになったと言う。生徒は昨年の9月、先生から「黒染めしないなら学校に来る必要はない」と言われ、それ以降は不登校となり、今年4月から退学になってしまったと言う。
もって生まれた髪の毛をわざわざ染めたりするものではないと言って禁止しているにもかかわらず、黒色に染めろ! と言うのは本末転倒ではないのか? 
いろんな生徒がいるので規律を守らせるのは容易なことではないと思うが、子供の人権や個性まで無視して、すべて同じような姿や色に染め上げることは如何なものか?

ここで我が家の娘もこれと同じ目にあったことがあるのでひと言代弁しておくことにする。
我が家での子供たちの教育はほとんど妻任せにしていたので自分に言う資格はないのだが、妻と娘に代って申し上げておきたい。
次女が公立高校に入学しほっとしたところ、どうやら規律に厳しい学校のようであった。制服のスカートの丈は?ルーズソックスは・・・と指導され、やはり茶髪は厳禁とのことであった。娘も高校生ともなればもっと自由に伸び伸びとできるものと思っていたので非常に残念がった。まもなく、超ミニスカートにルーズソックスという流行りの最先端を行くようになり、先生の指導を受けるようになった。それにもまして、前述の高校生のように、生まれつきの茶髪に近い髪の毛だったので、先生のチェックが厳しく何度も指導される始末であったそうだ。それにめげず自分の考えを押し通す強い子であったのでそれ以上のことはなかったが悔しい思いを何度もしたそうだ。 母親に対しては別に不良じみたことをやっている訳でもなく、一生に一度しかない高校生活をエンジョイしたいだけだと言っていたそうだ。
 そのやり取りの中で父親としての自分は「もっとまじめに勉強しろ!」と言うばかりであったが、さすが母親は「娘は自分のやっていることは十分承知の上でやっているのであって、私は信じてあげる。」と口癖のように言っていたことを思い出す。
今、その娘も一児の母親になった。子育てに夢中だ。どんなにか子供がかわいいのか・・・、毎日のように赤ちゃんの動画をメールで送ってくる。婆ば(ばあば)の今の唯一の楽しみとなっている。

新約聖書 ルカによる福音書 6章43節
「悪い実を結ぶ良い木はなく、また、良い実を結ぶ悪い木はない。」

子供を信じて育てること、これが親であり、教育者ではないのではなかろうか。

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讃美歌・・・「神はわがやぐら」

2017/10/23 16:27
 ひと休みしましょう! 讃美歌 「神はわがやぐら」です。

神はわがやぐら わがつよき盾、
苦しめるときの 近きたすけぞ、
おのが力 おのが知恵を たのみとせる
よみの長も  などおそるべき。

いかに強くとも いかでか頼まん、
やがては朽つべき  人のちからを、
われと共に 戦いたもう イエス君こそ
万軍の主なる あまつ大神。
 

メロディはこちら(You Tube)⇒ https://youtu.be/h_xbYi7k0a0

旧約聖書 詩編46章2〜6節

神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。 
苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。
わたしたちは決して恐れない
地が姿を変え、山々が揺らいで海の中に移るとも
海の水が騒ぎ、湧き返り
その高ぶるさまに山々が震えるとも。 
大河とその流れは、神の都に喜びを与える
いと高きか神のいます聖所に。
神はその中にいまし、都は揺らぐことがない。



 
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台風一過の選挙結果をどう思う?・・・。

2017/10/23 16:01
選挙戦一過が台風一過になってしまったようだ。 今日の深夜、目が覚めてしまったので選挙結果でも見ようかと、のこのこ起きてテレビをつけたら、いつもならバンザーイ、バンザーイのオンパレードのはずがいつまでたっても台風情報に明け暮れていた。 あちこちで川が増水氾濫し、助けを求める人々、濁流に呑まれて必死に木にしがみついている人、救助隊が肩まで水につかりながらゴムボートで助け出そうとしている光景、土砂崩れで道路はズタズタ、家も車も田畑も水浸し、こんな光景を目の当たりにして、ほんとうに選挙どころではない現実に情けない思いをした。
 皮肉にも、自民の大勝というか、選挙前と全く変わらない議席を確保したことに驚くばかりである。
 閣僚の重なる暴言失言に加え、森友学園や加計学園の疑惑問題などで内閣支持率が下がり、安倍内閣としては対北朝鮮への対応、消費税増税の使途変更を持ち出して、国民に信を問う選挙に打って出ることになった。 その結果が吉(?)と出た。 
 大儀なき総選挙、税の無駄使いと言われた選挙であったが、野党の結束力のなさもあり、国民がこのような審判を下したのだから認めざるを得ない。 増税もやむ無しか、財政赤字も将来へ先送りもやむ無しか? その場しのぎの政策ではなく、きちんと将来を見据えた政策を打ち出し、国民の付託に応えて行く政治をやって欲しい。 国の最高機関である国会がスキャンダラスなことばかりで何一つ決まらないような国会になって欲しくない。 このような繰り返しではギリシャのような財政破綻に追い込まれてしまうのではないか? 決してスキャンダルのみそぎは出来たと思わないで欲しい。
 今大事なことは何か、東日本大地震の大津波、それによる福島原発が取り返しもつかない事態になってしまったこと。 ある程度予測していたにもかかわらず抜本的な対策が講じられていなかったことが禍根を残すことになった。 近じか南海トラフト巨大地震が起こると予測されるがその対応策も遅々として進んでいない。 
 安定政権に期待が寄せられ、株も50何年ぶりに高値を更新したと言われる。 その裏では1988年のブラックマンデーから30年、世界を震撼させる大暴落が近じか起こるのではないかと心配されている。 そのようなことも何とかしのげたとしても、北朝鮮の暴発を引き起こし、核戦争に至ってしまったらそれこそ日本は壊滅してしまう。 こんな思いは取り越し苦労であって欲しい。 少なくとも子供たちや孫たちの将来を奪うようなことだけは何としてでも防がなくてはならない。
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世界にはこんな立派な大統領がいた!

2017/10/17 06:09
 「世界一貧乏な大統領」の話画像
 日本の政治に嘆いてばかりであるが、こんな時、ふと昨年訪日された前ウルグアイ大統領のことを思い出した。日本とは国の規模や歴史、政治形態は大きく違ってはいるが、政治家の政治姿勢はいずれの国であっても比較に値するものであって見習うべきものと思う。
 これは昨年〈2016年〉の4月来日された前ウルグアイ大統領のホセ・ムヒカ氏のこと、『世界一貧乏な大統領』と言われたムヒカ氏のことである。一昨年大統領は辞任したがまだ国会議員として活躍されていると聞く。
 彼は青年時代に極左武装組織でゲリラ活動に従事し、逮捕され、約13年間の獄中生活を送った経歴を持つ人物である。 大統領時代は『私は貧乏ではない。質素なだけです』『貧乏とは、欲が多すぎて満足できない人のことです』と言った。 ムヒカ大統領は官邸には住まず、妻が所有する小さな農場の質素な家に住み続けた。移動には大統領専用車は使わず、古い愛車を自らハンドルを握り、携帯電話も古いもの、自転車は60年間も持ち続けたという。 贅沢とは物を沢山持つこと、お金を沢山貯えることではなく、すべて自分の持っているものに満足し、誇りをもって大事にすることだと・・・。 『もし、少ししか物を持っていなければ、その物を守るための時間も少しで済みます』『もし、私がお金を貯めることを目的にしたら、お金が盗まれる心配をしなければならないし、お金を隠した穴を埋めて回らなければならなくなります』
 贅沢な生活をすれば余計なことに神経を使い、無駄な時間を取られ、煩わしさも伴ってくる。それこそ自分で好きなことに使う自由な時間を、家族や友人と過ごす自由な時間を奪ってしまう。
 大統領の給料は約131万円であったが、その90%は慈善事業と所属政党へ寄付、残りの10%は将来、貧しい子供たちを受け入れる農学校をつくるための貯金である。 生活費は妻の収入で賄い質素な生活であった。

 彼はキリスト教徒ではなかったけれど、その人生哲学は、それこそ、聖書にある『天に富を積む』行いであったことに驚く。  イエスが弟子達に語った『山上の垂訓』と言われる新約聖書の一部を紹介したい。 

新約聖書マタイによる福音書6章19〜21節

『あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは虫が食ったり、錆び付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は天に積みなさい。そこでは虫が食うことも、錆び付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ』


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選ばられし者、党利党略ではなく国民のために!

2017/10/17 05:09
 衆院選も中盤になり新聞テレビでは演説合戦で賑やかなことだが、わが田舎町では選挙カーなど1台も来ないし、町は静かなものだ。 と言うことは我々のようなちっちゃな個人はどうでもよくて、大まかな票の獲得でで国政の方向が決まってしまうということなのだろう。
 衆院選の争点の一つに、教育の無償化、その財源となる消費税の増税の賛否が問われている。 とりわけ、「幼児教育、保育の全面無償化」のための財源確保が必要、そんなことより、以前から問題となっている待機児童ゼロ化のための保育所や保育士の確保が先決ではないのか? また、高等教育の無償化は本当に必要なのか、家庭の事情で進学を諦める若者を救いたいという。 しかし、タダで高校や大学に行けるならバカでもチョンでも遊ぶために進学する若者が増えるだけだ。 真に将来国のために働いてくれる者を支援し、出世払いをしてもらえるような人材でなくては国税を使ってもらいたくないというのが人情だ。
 消費税増税分の使い方を問う選挙と大げさなことになっているが、所詮有権者へのリップサービスに過ぎないのではなかろうか・・・。 
 政治に関してはいつも不平不満になってしまう。 一国の舵取りはそう簡単にはいかない、1億何千万の総国民を満足させる施策などあり得ないことは重々承知している。 ただ、今回のような政権が行き詰った末の大儀なき解散総選挙はやって欲しくはない。 もっと国がかかえる難題ならもっと真剣に将来を見据えた政策を練り議論した上で、国民の審判を受けるべきだ。 
 党利党略のためにではなく、真に国民のため、地域のために身を粉にして働く人が国会に出ていって欲しいと願うばかりである。
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本当に国を守り抜くことができるのか?

2017/10/09 15:56
 突然に降って湧いた総選挙、昨日は党首討論会で盛り上がっているかに見えるが、我々庶民には何のための選挙かよく見えてこない。大義名分のない解散総選挙で始まったが、昨日の党首討論会では憲法改正に増税是非の論戦になってしまっている。
 政治も経済もずぶの素人ながら、ひとこと言わずにおられない。
 このまま、どの党が勝とうとも大勢からみれば憲法第9条の改正に至ってしまいそうだ。また、税のあり方使い方の見通しがつかないまま国の借金地獄に追い込まれそうな気がする。
 まず、今の国際情勢即ち北朝鮮の核の脅威に対して、安部総理が言うように本当に国を守り抜くことができるのか?憲法改正で自衛隊の強化、安保体制の強化で国を守ることができると言っているように思えてならないのだ。再び戦争に至れば我が国は壊滅するであろうし、戦争に至らなくても、軍事費の増強で借金地獄に拍車がかかるであろう。 もうこれ以上トランプ大統領の言いなりにならず、北朝鮮との対立は避けるべし、憲法も自衛隊も安保も今のままが良いのではなかろうか・・・。
 かっての消費税増税において、社会保障と税の一体改革や財政健全化が叫ばれたにも拘わらず遅々として進んでいない。アベノミクス効果で経済界の景気は順調と言いながらも庶民の生活はちっとも良くなっていない。こんな状況の中で増税の是非など我々に問われても答えられる訳がない。税のあり方について消費税のみならず、所得税や法人税含めて将来どうあるべきかを根本的に見直すべきだ。さらに、税の使い方において依然としてやまない税の無駄使いをいかに無くすかを考えるべきだ。
 党利党略に縛られず、国民のために滅私奉公のできる使命感と責任感のある人材が現れることを期待したい。
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どうにも止まらない・・・政治不信

2017/09/27 17:10
 25日の安倍総理の記者会見にて、衆議院解散表明がなされ、その真意が問われている。
9/26(火) 朝日新聞1面の座標軸に「国の最高法規に背を向け、国権の最高機関を軽んじ、・・・憲法あれどもなきがごとし・・・」と書かれているように、問題だらけのこの解散表明に国民の誰しも納得がいかない。
議員の任期も1年を残し、また解散理由となっている「消費税の使い道の変更」における消費税増税も2年も先のこと、まして北朝鮮問題が緊迫している最中、政治空白となっても急いで国民の信を問わなければならないことがあるのか?
 森友学園や加計学園の問題が政治不信を招き、都議会選挙で惨敗したにも拘わらず、ここでまた大義名分のない解散劇は明らかに国民の政治不信に輪をかけるようなものである。
 安部総理のトランプ大統領一辺倒の北朝鮮対応、国際舞台でいかにもリーダーシップをとっているかのようだ。もっと慎重に行動すべきだ。
 トランプ大統領がかかえる国内問題から目をそらし、北朝鮮との対決姿勢で国民を結束させようとする意図は、安倍総理も同じように思えてならない。 国政に行き詰まり、外に目を向けさせ危機感をあおっている。 北朝鮮の核の脅威に対して、本当に国民を守ることができるのか、アメリカと共に行動すれば危機に陥るのはわが国だということが分からないのか、危機が避けられても軍備費が重なるばかりで、社会保障どころではなくなるのは目に見えている。
 安部総理のこの愚かな決断の真意は何なのか、国民は今度こそ目を開き、リンカーンじゃないが「国民の、国民による、国民のための政治」となるようこれからの政治を我々の手に取り戻さねばならないのだ。
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人は塵より生まれ、塵に帰る

2017/09/27 12:08
      旧約聖書 詩編第90編3節〜12節

 主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ。  山々が生まれる前から
 大地が、人の世が、生み出される前から 世々とこしえに、あなたは神。

 あなたは人を塵に返し  「人の子よ、帰れ」と仰せになります。
 千年といえども御目には  昨日が今日へと移る夜の一時にすぎません。
 あなたは眠りの中に人を漂わせ 朝が来れば、人は草のように移ろいます。
 朝が来れば花を咲かせ、やがて移ろい 夕べにはしおれ、枯れて行きます。

 あなたの怒りにわたしたちは絶え入り  あなたの憤りに恐れます。
 あなたはわたしたちの罪を御前に 隠れた罪を御顔の光の中に置かれます。
 わたしたちの生涯は御怒りに消え去り 人生はため息のように消えうせます。
 人生の年月は七十年程のものです。  健やかな人が八十年を数えても
 得るところは労苦と災いにすぎません。  瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。
 御怒りの力を誰が知りえましょうか。  あなたを畏れ敬うにつれて
 あなたの憤りをも知ることでしょう。 生涯の日を正しく数えるように教えてください。
 知恵ある心を得ることができますように。

 昨日、教友の一人が亡くなりました。病魔はアッ〜という間に彼の命を奪ってしまいました。こんな時私たちは何を思えば良いのでしょう?
 モーセの詩である詩編90編をもう一度読んでみました。
 詩編では「人を塵に返す」のは神で「人の子よ、帰れ」と神から一言あれば、人の生命はそこで終わりです。ただ、なぜ彼なのか、なぜ今なのか家族にも、私たちにも分からず戸惑いを隠せません。
 神が仰せのように私たちは「塵より生まれ、塵に帰る存在」だということです。その人生も「朝が来れば花を咲かせ、やがて移ろい、夕べに枯れてしまう」儚い存在なのです。
 死は神の怒りなんでしょうか? 死を見つめることによって、私たちは「あなたを畏れ敬い、あなたの憤りを知ること、生涯の日々を正しく数え、知恵ある心を得ることができますように」・・・と祈るばかりです。

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お彼岸に思うこと・・・

2017/09/23 15:06
 今日はお彼岸です。仏事で彼岸の日の3日前が彼岸入り、3日後が彼岸明けで計7日間をお彼岸の行事が行われます。この間に親戚の家を周りお線香を上げに行ったり来たりで忙しくなります。お墓参りをしてお先祖さんにもお参りします。その意味ではお盆と同じような行事ですが、お盆の期間は8月13日〜16日の4日間でお彼岸の方が長くなります。 田舎に住んでいるとこれらの仏事は当たり前のようにやって来ます。 私はキリスト教徒なのでこんな付き合いはしたくないので不本意ながらほとんどのことは家内に押し付けてしまっています。しかしながら実家は浄土真宗なので子供の頃はよくお寺に行く事があったし、今でも家の法要には必ず出席せざるを得ません。
 つい先日も実家の法要を済ませて帰って来た直後に近所の親戚の叔母さんが亡くなりお葬式となりました。納棺に立ち会いましたが、昔ながらのやり方で、みんなで杖を入れ草履を履かせて旅支度をし、お金を持たせ(昔で言う6文銭)て送り出す事をやりました。
 仏教では人は死後、成仏するまで49日間の旅をします。この世(此岸)とあの世(彼岸)の間には三途の川があり、これを渡らなければならないそうです。そのために渡し船の6文銭が必要なのだそうです。(あの世も金次第?)
 人はみな死後のことまで知る由もなく、考えたくもないでしょう。 小生、旅のついでに、本州最北端の下北半島までドライブした際、恐山菩提寺にある死後の世界を表した霊場を散策してみました。そこには風車がカラカラと回り、荒々しい岩場の合間から硫黄の臭いが立ちこめ、三途の川や地獄や浄土に見立てられた風景が広がっていました。出口付近にはイタコと言われる占い師がテントの中で亡くなった人と話ができる口寄せ(仏おろし)をしていました。 亡くなった人と生前のこと死後のこといろいろ話せなかったことなど聞かせてくれるそうです。 
 こんなややこしい話しはもうこりごりで、田舎を飛び出し、キリスト教に引かれていった理由の一つです。キリスト教では死後の話しはほとんどありません。聖書に「神の国」「天の国」などイエスが語られていますが、死後の世界ではなく今生きているこの世での心の世界だと思うのです。
あれこれ想いわずらわずに、すべて神におまかせ出来ればいいのですが・・・。

下北半島恐山菩提寺
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ルカによる福音書17章20〜22節

 『ファリサ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。「ここにある」「あそこにある」と言える形では来ない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」



   
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紅葉見ごろは車もいっぱい・・・日光

2017/09/22 15:22
 日光の紅葉は大雪山に劣らずスケールが大きい。 いろは坂から中禅寺湖さらに湯の湖、切込湖・刈込湖にかけて・・・。 ただタイミングよく紅葉の時期に行っても、渋滞で動きが取れないのが悩みの種。 いろは坂入口に朝7時までに入れば何とかなるのでは・・・(ただし、ウィークデイ?)。満喫するためには日光で1泊が望ましい。

明智平よりの紅葉
明智平から展望台までロープウエイで約3分、展望台(標高1373m)から見事な絶景がみられる。問題は駐車場に入れるかどうかだ。前泊が確実な方法かも・・・。
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紅葉のトンネル
 中禅寺湖畔の菖蒲ヶ浜から湖畔に沿って歩く紅葉のトンネル、湖畔に映える紅葉が素晴らしい。千手が浜までは約4km、紅葉も素晴らしいが6月の千手が浜のクリンソウも素晴らしい。
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竜頭の滝の紅葉
 龍頭乃茶屋で目の前の滝を見ながら名物のお団子を食べる。ただ、駐車場に入れるかどうか?、入れなければもう少し上がって龍頭の橋付近の路肩駐車。確実なのは手前の中禅寺湖畔の菖蒲ヶ浜Pから1kmほど歩くこと。
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激流に映える紅葉
龍頭の滝上流の湯川は激流でその両岸のに赤や黄の紅葉が映える。120号の龍頭の橋から激流に沿って歩くのも良い。春にはミツバツツジがきれい。
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切込湖・刈込湖周辺の紅葉
 湯元温泉の源泉付近から金精道路を横切って登山道を上がって行くと刈込湖・切込湖に至る。
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金精峠より男体山望む
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紅葉前線を追っかける・・・北東北

2017/09/22 11:48
 紅葉前線と秘境の温泉を追いかける。・・・
  八幡平高原⇒十和田湖⇒青荷温泉⇒蔦温泉⇒城ケ倉大橋⇒酸ケ湯温泉⇒八甲田
 紅葉前線を追っかけるのは実に難しい。八幡平は紅葉真っ盛りだったが、十和田湖や青荷温泉はまだまだ紅葉とは言い難い。少し高度を上げて行くと蔦温泉辺りから紅葉が始まる。しかし、八甲田まで上がるともう紅葉は峠を越えてしまっていた。
画像青荷温泉 
 青荷温泉はほんとうに山奥の秘湯の温泉。車でしか行けなくてしかもナビがなければ到底行けそうもない辺鄙なところにある。 当然ランプの宿で温泉が唯一の楽しみとなる。
画像蔦温泉 七沼の紅葉
画像城ケ倉大橋付近の紅葉
画像画像八甲田の紅葉
 
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天空の温泉と紅葉・・・八幡平高原

2017/09/22 11:46
 岩手山望む雄大な八幡平高原、今や紅葉真っ盛り、その頂上付近に海抜1,400mの秘湯の温泉、藤七温泉がある。野趣満点の自然の息吹を感じながら、何も考えずにいつまでも温泉に浸っていたい。
 紅葉は9月中旬から10月中旬とのことだが、この時は2005年10月24日だったが御在所付近は実に素晴らしい紅葉が見られた。
画像岩手山望む八幡平高原
画像野趣満点の藤七温泉
 露天風呂につかっての眺めは最高
画像御在所付近の紅葉
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日本で一番早い紅葉・・・大雪山

2017/09/21 10:56
大雪山の紅葉・・・大雪高原沼めぐり・黒岳・旭岳
 久しぶりに楽しかった時の思い出ばなしを書いておこう。
 この頃は夫婦共々健脚・健康に恵まれよく旅に出た。
 今から13年前のはなし、2004年の7月、カナディアンロッキーを旅した時のこと、たまたま知り合った北海道から来た夫婦(ホテルのレストランで置き引きにあった人)から、日本で一番早い紅葉の大雪高原のことを聞いた。早速にその9月中旬に出かけ、大雪山の紅葉を楽しんだ。
画像大雪高原山荘
 日本一広い国立公園である大雪山国立公園の玄関口、旭川の層雲峡を経て、車で大雪高原山荘にたどり着く。 ここは沼めぐりの起点、少し割高だが静かな温泉旅館である。熊情報も得られて安心して出発できる
画像大雪高原の紅葉
 まずは、大雪高原沼めぐりコースを時計回りに一周、約5時間ぐらいかけてのんびりと散策する。
 このコースはクマ出没に要注意
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画像大雪黒岳の紅葉
 大雪高原の紅葉を満喫し層雲峡に戻り、民宿に泊まる。層雲峡は低地なので紅葉はまだ早い。
あくる朝、層雲峡山麓駅から、ロープウェイで眼下に渓谷の絶景を見ながら、標高1300mの黒岳の5合目へ。9合目あたりの紅葉は真っ赤に染まった紅葉が素晴らしい。
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画像羽衣の滝
 黒岳の紅葉を満喫した後、南下し、羽衣の滝に立ち寄り、滝の冷気と マイナス・イオンをいっぱい浴びる。
 水の落ちる姿は正に天女の羽衣のようにひらひらと舞い落ちるように美しかった。
 その日は秘境の天人峡温泉で一泊する。
画像大雪旭岳の紅葉
姿見の池
 
 旭岳は標高2,291メートルの北海道最高峰を誇る大雪山連峰の主峰である。 標高約1600メートルの姿見まではロープウェイで楽に行ける。
 標高が高くなり、紅葉もすでに峠を過ぎ、赤茶色の色が濃くなっている。ただ、あちこちで噴煙と紅葉に映え姿見の池や満月湖が美しい。
画像満月の池
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しずけき祈りのとき・・・讃美歌21-495

2017/09/20 10:06
 ちょっと一息、コーヒーブレークとしましょう。 
静かに思いに耽りながら讃美歌を聞くと癒されます。

しずけき祈りの ときはいとたのし。 なやみある世より われを呼びいだし、
み神のもとへと すべての願いを   たずさえいたりて つぶさに告げしむ。

しずけき祈りの ときはいとたのし。   さまよいいでたる われを呼び返し、
あやうき道より ともない帰りて、     こころむるものの 罠をのがれしむ。

しずけき祈りの ときはいとたのし。   そびゆるピスガの 山のたかねより
ふるさとながめて のぼりゆく日まで、 なぐさめをあたえ、よろこびをみたす。


メロディはこちらです。(You Tube)⇒https://youtu.be/d9IqHInaQMA
 
旧約聖書 詩編39−13

 『主よ わたしの祈りを聞き、助けを求める叫びに耳を傾けてください。わたしの涙に沈黙していないでください。』


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大阪キリシタンの痕跡を求めて・・・大聖堂

2017/09/19 14:47
カトリック玉造教会・・・大阪カテドラル聖母マリア大聖堂
 大阪城周辺のキリシタンの痕跡を求めて散策してきたが、締めとも言うべき素晴らしい大聖堂の前に立つことができました。
画像聖母マリア大聖堂
 青空に映える立派な大聖堂、おそらく大阪大司教区のカテドラル、司教座聖堂なので格の高い教会なのでしょう。敷地は旧細川邸の跡地だそうで、聖堂前は広いコンクリートのエントランスとなっています。ここに腰を下ろしてしばらくの間大聖堂を見ながら感慨に耽っていました。
 聖堂正面の左端には高山右近の石像、中央には聖母マリア石像、右端には細川ガラシャの石像が立っています。教会内正面には右近とガラシャの大きな絵が飾られており、おそらく大阪にゆかりのある2人を記念した教会ということでしょう。
画像ファチマの聖母 
 門の入り口横には「ファチマの聖母と羊飼い」が迎えてくれます。 ファチマは、ポルトガルの山の中にある村だそうで、ここに突然3人の牧童の前に聖母が出現されたそうです。






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聖堂内正面
 大聖堂内内陣左側には「高山右近」を描いた画、および聖堂正面の壁画は「栄光の聖母マリア」、右側には「細川ガラシャ」の絵が描かれています。
画像聖母マリアの生涯
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イエス・キリストの生誕と洗礼












 今回の大阪キリシタンの痕跡を求めての旅、締めくくりに当たって、この大聖堂に巡り合えて本当に良かった。
 厳しい弾圧と迫害に抹殺されたキリシタンが残した痕跡すらも、消し去り風化させてしまいそうな場面があちこちに見られ、なんとも言えない悲しい気持ちを抱いた。
 ここに来て、いつでも扉が開けられていて誰でも自由に会堂に迎えてくれるカトリック教会、静かに祈るひと時が与えられた。私より前に来られて祭壇前の片隅で1時間以上もずーと祈りを奉げておられる女性の訪問者がおられた。何を祈っておられるのだろうか・・・ご自分のこと、いやそうではなく困っている人あるいは病んでいる人のために祈っておられるのだろうか?・・・。 誰もがこの世の悩み多き人生を歩まなければならないが最後には神により頼み、全てをお任せして平安をいただくしかないと思う・・・・・。

  
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大阪キリシタンの痕跡を求めて・・・大坂城下

2017/09/18 16:11
 現在の大阪城周辺にはキリシタンの痕跡がいろいろあるようで散策してみました。
画像 大阪にはフランシスコ・ザビエルが薩摩に上陸後、平戸、山口を経て大坂に来たのがキリスト教伝来の始まりでした。その10年後にはヴィレラ、フロイス、ヴァリニャーノなどの宣教師が京都にやって来て、当時の将軍足利義輝や織田信長、豊臣秀吉などに布教の許可をとり、キリシタン大名となった高山右近らと共に、南蛮寺(教会)やセミナリヨを建て布教に努め大坂にもキリスト教が広まっていったようです。

 その痕跡が見られるかもしれないと思われる大阪城の西側にある北大江公園中大江公園、大阪城の南側にある旧細川邸にある越中井、そしてカトリック玉造教会を訪ねることとした。

画像北大江公園(南蛮寺跡地)
 ここは宣教師オルガンティーノと共に高山右近が秀吉よりもらった土地に、教会(当時は「南蛮寺」と呼ばれた)を建てた跡地と聞いて来たが、全くその面影もなくただの公園となっていた。 それらしい看板もなく、花の手入れをしているおじさんに、ここは何か由緒のある所と聞いていますが、何かあった所でか・・・と聞けば、怪訝そうな顔して、そう言えば米蔵のあった所で、明治維新の時にここからコメを運び出したところだ・・・そうです。 (敷地2000坪)

画像中大江公園(26聖人の牢屋跡)  
 日本26聖人(ほとんどが京都、大阪の宣教師や信徒)は京都から連れてこられ、1597年の1月4日と、堺を市中引き回しになって戻って来た1月9日の2泊をこの牢屋に泊まったと言われています。そこから長崎までの900kmの長旅、寒風吹きすさむ中33日間歩かされ、長崎の西坂で処刑されたそうです。
 そんな惨酷な場所であったにもかかわらず、今はただの公園、それらしい看板はどこにも見つからなかった。
                              
画像越中井由来
  戦国の世に翻弄された姫、細川ガラシャは石田三成の人質要求を拒否し、家老に首を討たせ、火を放ち、この地に果てた。 昭和9年、越中守細川忠興の屋敷跡にその遺徳を偲び、顕彰碑が建てられました。(キリスト教では自ら命を絶つことは行けないと教えられているし、人に殺させることも罪を犯させることになり、苦悩の末に取った行為であったと思われる。よって、キリスト教会ではガラシャを殉教者扱いにはしていないが、その信仰心は高く評価されている。)
    越中井全景(奥に由来の看板あり)
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 この近くに、ガラシャの辞世の句が残されています。

 『ちりぬべき 時しりてこそ世の中の 花も花なれ 人も人なれ』

その句の意味は「花も人も散りどきを心得てこそ美しい」という意味だそうです。


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大阪キリシタンの痕跡を求めて・・・茨木千提寺

2017/09/18 16:11
 隠れキリシタンの里・・・茨木市千提寺画像
 平家落人の里にも劣らぬ奥深い山の中、峠を越え広い谷間に出たかと思うと、また坂道を登る。
 信仰を捨てなかったキリシタン達は江戸幕府の厳しい弾圧にも耐え、明治6年に禁教令廃止になったにも拘らず、大正8年にキリシタンの里であることが発見されるまで、隠し通さなければならない悲しい歴史がこの地にあった。

 ここにはキリシタン遺物の展示場である「キリシタン遺物史料館」、キリシタン墓碑が見つかった所の「クルス山」(今は新名神高速道路の工事中で分断されている)、また、キリシタン遺物が見つかった家「愛と光の家」、その他いくつかの遺跡が保存されている。

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「キリシタン遺物史料館」(茨木市広報より)
 現茨木市の北の千提寺や下音羽地区は、高山右近の影響から多くのキリスト教信者が暮らしており、キリスト教禁制後も、信者たちは「隠れキリシタン」として、この千提寺の集落で人目を避け、密かに信仰を守りつづけていた。
 1919年(大正8年)にキリシタン研究家によって、ここが隠れキリシタンの里であることが発見されたことをきっかけに、付近の多くの家から隠れキリシタン遺物が発見された。
 キリシタン禁制によって、大切なものがこの村に持ち込まれ、以後、開けてはならない蔵に収められ、家長以外には誰にも知らされず、300年もの間秘密にされていた。

画像「あけずの櫃」
 あけずの櫃は秘密裏に蔵に収められていたが、持ち主を説得して1920年(大正9年)に開けられた。そこには入っていたものは「ザビエル像」「マリア十五玄義図」「キリスト磔刑像」などで貴重な遺物であった。

画像「フランシスコ・ザビエル像」
 「ザビエル像」はザビエル列聖後の画像で、和紙に泥絵具、膠、鶏卵の黄身を混ぜ合わせた彩色で日本人画家によって描かれたもので、日本には1枚しかない貴重な宝物である。後に篤志家によって買い取られ市立神戸博物館に寄贈された。

 豊臣の「バテレン津法令」、家康の「キリシタン禁制令」によって、ほとんどのキリシタンは棄教させられたが、信仰を捨てなかった人々は隠れ場を求めて、このような山奥深く、人里離れた千提寺周辺に移り住み、表向きは仏教徒に見せかけて信仰を貫いた。
 この里が隠れキリシタンの里であったことが判明した時に、祖母が踏絵を踏まされたことがあった(実際には自ら転んで踏絵を踏まないようにしたとのこと)と聞いたことがある・・・と証言されていたことから、恐らく明治初め頃までは隠れキリシタンは存在していたと思われる。

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大阪キリシタンの痕跡を求めて・・・高槻城

2017/09/18 11:54
高山右近城主の痕跡・・・大阪高槻
 高山右近は父飛騨守と共に1570年高槻城に入り、1573年21歳の若さで城主となりました。右近は高槻城主としては1585年の12年間のごく短い期間ではあったが、キリシタン大名として立派な業績を残しました。その痕跡は町の中心部に点在しています。

画像高槻城周辺マップ
 まずは高山右近記念聖堂のある「カトリック高槻教会」が、その隣に「能見神社」がありますが、そこには右近時代には天守教会堂やセミナリヨがあって、逆に能見神社は今の教会のところにあったそうです。
 少し東に歩くと高槻城のあった広い城跡公園があります。そこには高く見上げるような「高山右近像」があります。
 また高槻城三の丸跡の一角に「しろあと歴史館」があり、江戸時代の高槻に関する資料や模型、ロザリオなど右近の関連史料が展示説明されています。







画像カトリック高槻教会外観
 カトリック高槻教会の聖堂は高山右近記念聖堂として知られており、奥に見える高いドーム状の屋根は右近がその生涯を終えた地、マニラ郊外にある聖母大聖堂に模して設計された。会堂内部は極めてシンプルで清楚な感じがしました。 
 右近は2017年に福者として認められ、改めてその偉業が見直され、教会内外の話題となっています。

画像会堂内部
 まだ右近が福者になっていなかった時に建てられた高槻教会では聖母マリア日本26聖人に捧げられました。したがって教会の祭壇横の小ルーム右側には聖母マリア像があり、左側には殉教を遂げた日本26聖人の碑が掲げられています。
 


画像 日本26聖人の碑
 教会のホームページにはこの26聖人一人ひとりについて詳しい説明がなされており、キリシタンの歴史上初の信仰による迫害、処刑という痛ましい事実があり、これに屈せず殉教の道を選んだ聖人を讃えています。



画像右近ひざまずき像
 会堂正面横に右近逝去350年を記念に贈られたもので「右近ひざまずき像」と言われています。その台座には「私にとって 生きるとはキリストであり 死ぬことは利益なのです」と刻まれています。
 







画像城跡公園の右近像
 右近は21歳にて高槻城主となり、信長、秀吉に仕えましたが、33歳にて明石に転封、したがって、高槻城主としてはわずか12年間の短い期間でした。
 それにも拘らず、右近は領民へのキリスト教の教えを薦め、人は皆平等とする治世を行い、高槻領民の72%、18,000人がキリシタンとなり、かってない盛況ぶりであったようです。その間、教会堂やセミナリヨ(神学校)を建て、京都や大坂にも教会を建てる事に貢献しました。 しかし、1587年秀吉が突如バテレン追放令を出し、棄教を迫りましたが、右近はこれを拒否し『現世においてはいかなる立場に置かれようと、キリシタンをやめはしない。霊魂の救済のためには、たとえ乞食になり、司祭たちのように追放に処せられてもなんら悔いはない』と答え、最後の明石の領土を略奪され、追放の身となりました。

 右近は他の南蛮貿易で潤ったキリシタン大名とは違い、領民に優しい慈しみの殿様でしたが、わずか12年の短い期間、歴史のほんのひとコマに過ぎない統治であったこと、また、ある意味では日本古来の宗教・伝統・文化とはあまりにもかけ離れたキリスト教(聖書や讃美歌、信仰対象、オルガンなど・・・)であったため、真の信仰は継承されずに、厳しい弾圧と迫害によってキリスト教は抹殺され、後世にマイナスのイメージが残ってしまったのは残念なことです。(歴史館の説明員から受けた印象)
 カソリック教会では右近の列福を機にその遺徳をしのび、右近が成し遂げた偉業を一般人にも理解してもらう努力の様子が伺えました。






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大阪キリシタンの痕跡を求めて・・・右近生誕の地

2017/09/18 05:01
高山右近生誕の地・・・大阪能勢町高山
 戦国キリシタン大名であった高山右近についてはすでに書かせてもらったが、そのゆかりの地を訪れたことがなく、たまたま私の郷里近くに生誕の地とか城主であった高槻城とか、隠れキリシタンの里千提寺が点在しているとのことで、帰省の機会にそれぞれの地を訪問することにした。
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「右近生誕の地」碑

右近はこの摂津の国、今は大阪の最北端の豊能郡能勢町高山で、父飛騨の守の嫡男として生まれました。実際にはここから西北300mのところにあった高山城で生まれましたが、育ったこの地にが生誕の地として、地元の篤志家であった大西昇氏がこの碑を寄贈されたそうです。 皮肉にも八幡神社のそばに建てられています。

画像「キリシタン禁制高札」
そこに行く通り道には、当時の法度や掟書きなど、民衆に周知させる高札が復元されています。「慶応4年」と記された切支丹禁止高札が掲げられていますが、実際には1873(明治6)年に高札が廃止されたものです。


画像「右近と志野夫婦の石像」
 少し高台に町民の集会場としての高山コミュニティーセンターと広いグランドがあり、その正面に夫婦の石像が仲良く鎮座しています。グランドはあまり使われていないようで、草がぼうぼう、荒れた感じで右近夫婦も少しかわいそうに見えました。




画像「能勢町高山地区マップ」
高山右近はキリシタン大名として、織田信長や豊臣秀吉に仕えましたが、1587年突如、秀吉がバテレン追放令を発し棄教を迫られたが、右近はこれを拒否したために、所領と財産を失い追放の身となりました。
ただ、キリスト信仰を貫き、殉教者同然の死を遂げ、400年の時を経て、今年2017年になってようやく福者として認められました。
この高山は高山家出身の地だけであって、キリシタンの面影はほとんど見当たらないのが残念です。
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主よ、み手もて・・・讃美歌21−504番

2017/08/31 15:18
主よ、み手もて ひかせたまえ、  ただわが主の 道をあゆまん。
いかに暗く  けわしくとも、    みむねならば  われいとわじ。

ちからたのみ  知恵にたよる    われと道を  えらびとらじ。
ゆくてはただ   主のみ旨に   ゆだねまつり  正しくゆかん。

主よ、飲むべき わがさかずき、  えらびとりて  さずけたまえ。
よろこびをも  かなしみをも、  みたしたもう  そのまま受けん。

この世を主に  ささげまつり、   かみのくにと  なすためには、
せめもはじも 死もほろびも、    何かはあらん、 主にまかせて。


メロディはこちら(You Tube)⇒https://youtu.be/gA4ZGuuSoA4

マルコによる福音書14章33〜36節(ゲッセマネのイエス様の祈り)

イエスはひどく恐れてもだえ始め、弟子たちに言われた。 
「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。」 
 少し進んで行って地面にひれ伏し、できることなら、
この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り、こう言われた。
 「アッパ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。
しかし、わたしが願うことではなく、み心に敵うことが行われますように。」


 

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心の貧しい人々は幸いである・・・聖書は語る

2017/08/28 14:14
新約聖書 ルカによる福音書19章1〜10節
「徴税人ザアカイの話し」

 イエス様がエリコという町に入られた。すると、そこにザアカイという金持ちの徴税人の頭がうわさに聞くイエスがどんな人か見ようとしたが、背が低くて群衆にさえぎられて見ることができなかった。そこで、走って先回りをして、桑の木に登ってイエスを見ようとした。
 イエス様はそれに気づき、「ザアカイ、急いで降りてきなさい。今日はぜひあなたの家に泊まりたい。」と言われた。ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎え入れた。

 貧しい人たちから、税金を取り立てている徴税人はみんなに嫌われ、さげすまれている存在ゆえ、まさかイエス様から声すらかけてもらえるなど予想もしていませんでした。それにも拘らず、泊めて欲しいとまで言われてさぞかし驚いたことでしょう。 群衆もあり得ない情景を見て「あの人は罪深い徴税人のところに行って宿をとった。」とイエスを批判しました。

 ザアカイは「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人に施します。また、誰かから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」と言った。 イエス様は言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。・・・」

『心の貧しい人々は、幸いである。 
  天の国はその人たちのものである。』


 ザアカイはお金持ちになっても、心は満たされていなかった。いや、満たしてくれる人がいなかったのだ。イエス様に出会って初めて、心癒され、悔い改め、財産も貧しい人に施しをするという、生まれ変わったようになり、イエス様の救いに預かることができたのです。
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大事なことはただ一つ・・・聖書は語る

2017/08/21 14:41
 新約聖書 ルカによる福音書10章38〜42節
 『マルタとマリアの話し』


イエスさまがある村に入られた時、マルタという女性がイエスさまを迎え入れました。彼女にはマリアという姉妹がいました。マリアはイエスさまの足元に座って、その話に聞き入っていました。
 マルタは、いろいろのもてなしのために、せわしく立ち働いていました。そこでイエスさまに「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」
 主はお答えになりました。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」

 私たちも、客人を迎えれば、少しでも喜ばれようとして、あれやこれやと忙しく立ち振るまうものです。
しかしながら、その客人を心底迎え入れる気持ちの方が大切なことを忘れてはなりません。

 私たちは何事においても、常に常識とか、慣例とか、先入観とか、多数決でとかで、物事を簡単に処理してしまいがちですが、ほんとうに大切なものは何かを考え、必要な答えを導かなければならないと思うのです。

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真の隣人とは誰なのですか?・・・聖書は語る

2017/08/21 14:39
ルカによる福音書10章25〜37節
 『よきサマリア人の話し』


あるユダヤ人が旅の途中、強盗に襲われ、掠奪され、半殺しにされて倒れていた。偶然ある祭祀が通りがかり、その人を見つけたが見て見ぬふりをして通り過ぎた。
また、一人の神殿に仕えるレビ人が通りがかったが、その倒れている人を避けて、通り過ぎて行った。
しかし、その後ユダヤ人とは極めて仲の悪いといわれるサマリア人の旅人がこれを見て、かわいそうに思い、傷に油と葡萄酒を注いで包帯し、自分のロバに乗せて宿に連れて行き、翌日宿の主人にお金を払って「この人を介抱してやってください。もし費用が足りなければ帰りに払います」と言って立ち去った。

ここに登場する祭祀やレビ人は神さまにもっとも近い仕事をしている人たちにも拘らず、困っている人を見ても見ぬふりをして関わることを避ける人たちである反面、日頃から犬猿の仲と言われるサマリア人に於いては見知らぬ人とは言え、困っている人を見捨てず優しく対応した。
これは『隣人とは誰なのですか?』という律法学者の質問に対してイエスさまが答えられた例え話で『真の隣人とは困っている人に親切にした人』であり、『あなたもそのようにしなさい』と言われました。
 これこそが「天に宝を積む」ことではないでしょうか?

この例え話は今の私たちにも言えることで、時代を問わず人間の本性をするどく指摘しています。
神に仕える教職や役職でさえ忙しさにかまけて、厄介な者には近寄らず、見て見ぬふり、あるいは気づかず、弱者に寄り添うことなく、真の隣人には程遠い存在になっていることは嘆かわしい。
 
新約聖書 マタイによる福音書15章8節
『この民は口先では私を敬うが、その心は私から遠く離れている』

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思い悩むことはない・・・聖書は語る

2017/08/21 14:00
新約聖書 ルカによる福音書12章22〜34節
『尽きることのない富を天に積みなさい』


 ある時、イエスさまは弟子たちに言われました。
「命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切だ。カラスのことを考えてみなさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。だが、神はカラスを養ってくださる。あなた方は、鳥よりもどれほど価値があることか。」
「あなた方のうちの誰が、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。こんな小さな事でさえできないのに、なぜ、ほかの事まで思い悩むのか。」
 
 「野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなた方にはなおさらのことである。信仰の薄い者たちよ。あなた方も、何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならない。また、思い悩むな。それはみな、世の異邦人が切に求めているものだ。」

 「あなた方の父は、これらのものがあなた方に必要なことをご存じである。ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。」

 「小さな群れよ、恐れるな。あなた方の父は喜んで神の国をくださる。自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。あなた方の富のあるところに、あなた方の心もあるのだ。」

 悩み多き人生のただ中、『毎日何を食べようか、何を着ようかと心配が尽きない。そんな小さな事で思い悩む事はない。そんな事より、尽きることのない富を天に積みなさい。その富のあるところに、あなた方の心もあるのだ。』と言われ、天に宝を積むにはどうしたらいいのか? まずは自分が変わらなけれ何も始まらない。
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善き羊飼いとは・・・聖書は語る

2017/08/15 10:20
 ある牧師の説教を聞きました。その説教題は「羊と羊飼いの関係」でした。
 『プロテスタント教会では教職者のことを「牧師」と呼び、言うまでもないがそれは「羊飼い」という意味だ。それに対する「羊」とは教会員のことであり、礼拝に集う人々のことである」と説明される。この「羊と羊飼いとの関係」とはどのようなものだろうか?・・・
 牧師の就任式でよく読まれるイエスの言葉がある。「わたしはよい羊飼いである。よい羊飼いは羊のために命を捨てる。」(ヨハネ福音書10:11) ここで羊のために命を捨てる覚悟があるのかを問われる。(牧師としての召命、使命)ただ、私のようなひとりの人間に過ぎない「牧師」が、イエスのような「よい羊飼い」になり得るのか?と自問自答する。それは大変難しいこと、いや所詮ムリなことだ、と言わざるを得ない。
羊飼いも導く方向を間違うと、群れ全体を破滅に向かわせかねない危うさを持ち合わせており、旧約聖書のエレミヤ書ではイスラエルの指導者たちが進む方向を間違ったが故に、民をバビロン捕囚の憂き目にさらしてしまった失態が指摘される。
 今日の箇所でイエスは言われた。「羊は羊飼いの声を知っているのでついて行く。他の者にはついて行かない。その声を知らないからである。」(ヨハネ10:4-5) 羊飼いと羊との信頼関係を示す言葉である。その信頼こそ、教会にとって最も大切な絆であり、生命線である。この信頼はあたりまえのように存在するものではない。築き上げるものだ。互いに土俵を割らず、対話をし、向き合う中でこそ、それは育つ。・・・・・』

 別の教会誌に、ある牧師が「牧師は常に信徒一人ひとりのために祈っている」「信徒に何かあればとことん寄り添っていく」と書かれていた。

 このように、ほとんどの牧師は常に使命感をもって、牧会(礼拝や聖餐、信徒への執り成し・・・)に当たっている。
しかしながら、若い牧師の至らなさや老牧師の自己保身、あるいは嫌な人間性ゆえに信徒との信頼関係が薄れ、教会らしからぬ事態に発展してしまう事がある。私も善き羊飼いらしからぬ羊飼いを信頼できず、一時その羊の群れから離れ、別の善き羊飼いに救われた一人である。例え、ある羊が間違っていたとしても、とことんその羊を捜し出し連れ戻すのが善き羊飼いの使命であるはずだ。それなのに、「黙して語らず」、教会責任者としての不祥事の総括もせず、信徒への執り成しもなく、さっさと辞任して別の教会の講壇に立っている。こんな事ってあるんですよ。一信徒として恥ずかしいことを書いてしまいました。すべての羊のために命を奉げておられる牧師には申し訳ないことを書いてしまいました。お赦しください。

新約聖書 マタイによる福音書18章12〜14節

『ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。』

新約聖書 ヨハネによる福音書10章15〜16節)

『わたしは羊のために命を捨てる。わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。』
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疑い迷いの中で・・・聖書は語る

2017/08/15 10:09
 今年の2月に封切られた映画「沈黙」を思い出してあれこれ書いてみました。
この映画を見ての第一の感想は、こんな残酷な映画見たこともない、殉教者に迫る数々の迫害の状況がリアルに描かれ、架空の映画ならともかく、実際にあった日本での出来事であることに哀しみを覚えざるを得ませんでした。五島列島の殉教者の記録からは想像できない想いを抱きました。
 映画の主人公は確かに、迫害にあえぐ日本の信徒を救えず、苦悩の末に棄教に至るロドリゴ神父とは思いますが、小生にとっては自分の想いを重ねてしまうせいでしょうか、やはりキチジロウの心の葛藤が描かれている場面が強く印象に残りました。
 中でも牢の中での告悔の場面です。救いを求めた神父を何度も裏切り、拷問にあえば何度も転び、踏絵もいとも簡単に踏み、それでもなおロドリゴ神父に告悔を聞いて欲しいとすがるそんなキチジロウ。 転んでも転んでもなお何かにしがみつき、赦しを請わなければ生きられない我々弱い人間の姿が描かれている。それはなにもキチジロウだけではなく、密かに島に宣教師がたどり着いたという噂を聞いた隠れキリシタンがあちこちから救いを求めてくる姿と同じです。
 囚われの牢の中で、棄教したロドリゴに告悔をさせて欲しいと迫るキチジロウに、自分は棄教した者でその資格はないと「この国にはもう、お前の告悔を聞くパードレがいないなら」と言われ拒否される。落胆と怒りに声を抑えて泣き崩れるキチジロウに、ロドリゴは形式にこだわらず優しく労わり「赦し」その願いを叶える。これこそがキチジロウの背中を押し、ロドリゴの背中を押された神のなせる業ではなかったのか・・・と私には思えてならない。
 「神はなぜ沈黙しているのか」はこの小説のテーマではないと思うが、フェレイラやロドリゴなどの聖職者でさえ何度も神に問いかけるが、その答えはない。そうではなく、ロドリゴが踏絵を踏む時も踏絵のなかのキリストが「踏むがよい。お前のその足の痛みを、私がいちばんよく知っている。その痛みを分かつために私はこの世に生まれ、十字架を背負ったのだから」と語りかける。またキチジロウが告悔を求めた時もその顔を通して「私は沈黙していたのではない。お前たちと共に苦しんでいたのだ」「弱いものが強いものよりも苦しまなかったと、誰が言えるのか?」とロドリゴに語りかける。『沈黙』の最後に、「おまえの人生を通して私が語っているので、沈黙しているのではない」と書かれているように「神は沈黙しているのではなく、私たちと共におられるのだ」。これが遠藤周作の人生経験から得られたもので、小説の主たるテーマとなったのだと思いたい。
 カトリック教会は、小説の「沈黙」が発表された時、小説「沈黙」を「禁書」としたし、遠藤周作は異端児とされた。フェレイラやロドリゴたちの宣教師達が神の沈黙を嘆き、迫害に耐えられず棄教、背教に至ることは、殉教をもっともとするカトリック教会にはその尊厳にかかわる問題であったし、既述のような見方は「神にはなんの力もない」ことを認めざるを得なくなってしまうからだ。 神は、教会は殉教者のような立派な人、従順な人のためにあるようなものだ。
 もう一つテーマとはなっていない信仰者の生き方がある。今、私が通っている教会の牧師は「沈黙」を見ての感想に、『映画「沈黙」で描かれる“かくれキリシタン”たちの姿。それは「立ち向かう」のではなく「潜伏する」、そのような形で信仰を保とうとする姿である。それもまた「闇の中にまたたく光」を求めようとする、信仰者のひとつの生き様だと言えるのではないだろうか。』 
 私も殉教者でもないし棄教したわけでもない。神はほんとうにおられるのか、疑いと迷いの中に立たされている弱き信仰者のひとり。 しからば、隠れキリシタンのように一筋の光が見えるまで、ひっそりと信仰を保てば良いのではないだろうか・・・。
 思い悩んでいた時、たまたまネットで見つけた説教「羊と羊飼いの関係」に引き付けられるように、その教会の門を叩いた。それがきっかけで誰かに背中を押されるようにその教会に通うようになった。いつも心に響く素晴らしい説教、そこからにじみでてくる御言葉は自分の心の糧となり、生きる勇気を与えてくれた。 その牧師でさえも嘆かれる。1月の説教で『私たちの教会は、「神のおられるところ」だろうか?「そうであって欲しい、そうでありたい」と思う。しかし「当然そうだ、そうであるべきだ。」という思い込みは見つめ直すことが大切だ。』というメッセージであった。
 大教会であれ高齢化が進み若者のいない教会、世界の価値観が大きく変化していく社会の中で、教会は何をなすべきなのか真剣に考えておられることが毎週の説教の中から読み取ることが出来る。 ある時は信仰告白にカナダ合同教会の「私たちはひとりではない」をとりあげ、講壇からでも常に謙虚に信徒目線での説教、それ以来、説教が楽しみに変わっていった。 いかに思い悩める時であっても「神は共におられる」ことを信じて歩んでいこうと思う。

新約聖書 マタイによる福音書:28章20節
『わたしは、世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる』
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「花に魅せられて・・・ニッコウキスゲ」について

2017/08/11 15:36
花に魅せられて・・・ニッコウキスゲ」について
時期が少し遅くなりましたが、キスゲの花言葉「日々新たに」という言葉が飛び込んできたので、花旅の思い出の一つとして書いてみました。

「日々新たに」の言葉は新約聖書コリント人への第二の手紙4章16〜18節にこう書かれています。
 『だから、私たちは落胆しません。「外なる人」は衰えていくとしても「内なる人」は日々新たにされて行きます。
 私たちの一時の軽い艱難は、比べ物にならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。
 私たちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存在するからです。』

 
 私たちは苦労の多い日々、特に年老いてからは心身ともに苦労が絶えない日々を過ごしていますが、聖書にあるように落胆せず、日々新たにされて毎日を過ごせるよう祈っています。
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花に魅せられて・・・ニッコウキスゲ

2017/08/11 15:31
正式な和名は禅庭花(ゼンテイカ)という花ですが、栃木県日光地方(戦場ヶ原や霧降高原)に多く自生していることから日光黄菅(ニッコウキスゲ)の別名で知られています。この花は日光地方の固有種ではなく、日本各地に分布し、尾瀬ヶ原や長野県霧ヶ峰の群落も有名です。
ニッコウキスゲの花は朝方に開花し、夕方にはしぼんでしまう一日花であることにちなんで、その花言葉は「日々あらたに」だそうです。 6月4日、7月24日の誕生花です。

画像日光霧降高原
霧降高原は赤薙山(あかなぎさん)斜面に広がる標高約1200mの高原地帯。高山植物の宝庫で、ニッコウキスゲの群生地として知られており、6月下旬〜7月中旬には約26万株のニッコウキスゲが見ごろを迎え、黄色い花が一面に咲き誇ります。群生地のキスゲ平はハイキングコースが整備されているので気軽に散策も楽しめます。






画像尾瀬大江湿原
大江湿原は尾瀬沼の北側にある湿原で湿原に絨毯のように一面に咲くニッコウキスゲは見事です。
会津桧枝岐方面から沼山峠を超えて尾瀬沼に入るコースが最短で初心者でも楽に歩けるコースです。





画像車山高原
車山高原は長野県茅野市の北部にある標高2000m近い高原地帯です。なだらかに広がる高原、6月にはレンゲツツジが、それが終わる7月にはニッコウキスゲが見頃を迎えます。満開になると、高原一帯がニッコウキスゲの黄色い花で覆われます。
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うるわしの白百合・・・讃美歌496

2017/08/02 15:26
日野原重明先生に哀悼の意を表し、讃美歌「うるわしの白百合」を捧げましょう。

うるわしの白百合 ささやきぬ昔を イエス君の墓より いでましし昔を
うるわしの白百合 ささやきぬ昔を 百合の花 百合の花 ささやきぬ昔を

春に会う花百合 夢路よりめさめて かぎりなき生命に 咲きいずる姿よ
うるわしの白百合 ささやきぬ昔を  百合の花 百合の花 ささやきぬ昔を

冬枯れのさまより 百合しろき花野に いとし子を御神は 覚したもう今なお
うるわしの白百合 ささやきぬ昔を   百合の花 百合の花 ささやきぬ昔を


メロディはこちら(You Tube) ⇒https://youtu.be/PXflupuk7Oo
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命の大切さを、自らの命で示された人・・・日野原重明先生

2017/08/02 14:57
日野原 重明(1911年(明治44年) - 2017年(平成29年)
 7月18日聖路加国際病院名誉院長の日野原重明先生が105歳の生涯を閉じられた。
 生涯現役を医師として通され、どのような患者さんにも真摯に寄り添い、励まし、「命の大切さ」「生きることの大切さ」を訴えて来られました。
 先生は小学生の時、病気のため休学されたり、大学生の時にも結核にかかり1年間闘病生活を送られたりして苦労を味わい、医者の道を天職として歩まれのだと思います。
 太平洋戦争の最中、軍医となりましたが、急性腎臓炎が再発し入院、除隊となりました。が、『聖路加病院』はキリスト教関係の病院と言うことで、名称まで変更させられ、特高警察に取り調べを受けたり監視されたり、塔の十字架は切り取られ、「神の栄光と人類の奉仕のため」という病院の理念が刻まれた石碑まで覆い隠さなければならいという苦節の時を過ごされたという。
 また、1970年に起こったよど号ハイジャック事件に遭遇し、韓国の金浦国際空港まで連れていかれ、解放されたものの、命拾いをするという恐ろしい経験をされています。
 また、1995年(平成7年)の地下鉄サリン事件の際には広いロビーや礼拝堂施設が緊急応急処置場として使われ、事件後直ちに当日の全ての外来受診を休診にして被害者の受け入れを無制限に実施し、被害者治療に専念され、そのお蔭で犠牲者を最少限に抑えることに繋がったと言われています。
 これらの豊かな人生経験、前向きな発想を通して、沢山の名言を残され、我々に感動を与え、生きることの意味を教えてくれました。
 先生は牧師家庭に生まれ育てられ、生涯キリスト教徒でしたが、そのことはほとんど表には出されませんでしたが、先生の言動には、聖書にあるキリストのように、愛に満ち溢れたものでした。 ありがとうございました。
 
 名言集の一部をご紹介します。
・人は主義や主張より前に、 人間であることを必要とする。人間の本質的な人間性を踏まえての、主義、主張でなければならない。
・よき眼と耳、暖かい手と配慮の心、しみ込むような言葉を持ち、 患者と家族に接したい。
・ どんな困難に直面しても、「ここから始まるのだ」ととらえ直すことができれば、 私たちはかならず前進できます。
・自分を相手に置き換える想像力を、 身につけたいものである。
・人は最後の瞬間まで、 生きる希望に支えられるべきなのです。
・誰しも幸福を望みますが、それを実感することにおいては きわめて鈍感です。
・生きていることの意味は自分で探し勝ちとるものです。それがつまり生きがいにつながります。

 
新約聖書 ルカによる福音書12章22-23節
『命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな。
命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切だ。』

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隣人に、より添うことの大切さ

2017/08/02 08:50
『「心の病」で労災認定、昨年度は過去最多』と言う記事が紹介されていた。
厚生労働省によると、うつ病など「心の病」を患って労災を請求した人は1586人、その内労災を認められたのは498人、いずれも過去最多であったという。その内84人が自殺や自殺未遂の人達であった。一昨年の電通社員の高橋まつりさんもその一人である。
 ここで知っておかなければならないことは、労災申請まで出来ない人、陰に隠れている人たちがこの何倍もいるということである。つまり、「心の病」発症状態にあっても、それを労災という公の場にもって行くことは、本人にとっては今後の生活がかかっており前に踏み出せないし、会社側にとってもダメージとなるため本気で取り合おうとしない。そのまま病気が高じて大事に至ってしまうケースが大半である。

 これからお話しすることは私自身が実際に関わったケースで、偶然かも知れませんが適応障害の鬱に苦しんでいた家族を救うことが出来た話しです。少し長文になりますが、出来る限り詳細を記したいと思いますので最後までお読みください。

 昨年、私のごく親しい友人から長男がうつ病になりどうしたらよいのか困っているとの相談を受けた。私はその道の専門家でもないので躊躇したが、やるだけやってみようと決意した次第。
 その本人はあるCVSの営業マン、これまで東京、埼玉、東北と経験豊かな営業マンであったらしい。ところが、2011年の東日本大震災の折、東北勤務でその悲惨な現場に遭遇し、本人には被害はなかったがその後の対応に追われ、通常3〜4年で転勤できるところ、8年も付き合うこととなった。ただ、東北は関東に比べて、田舎の良さがあり、上司や同僚、店のオーナーなどの人柄もよく、のんびりした雰囲気でやる気の出る職場であったことは良かったのですが・・・。
 ところが、一昨年転勤になり関東に帰って来たところ、間もなく店のオーナーと販売方針でぶつかり、それが元で営業所所長にまでお叱りを受けることになってしまった。本人は極めて真面目人間で、会社方針を店側に指導する立場であり、フランチャイズ店ならばそれに従うべきところ、オーナーは受け入れず、喧嘩になってしまったとのこと。(ここは営業マンのつらいとこ。普通なら素直に指導を受ける立場のオーナーでも、高飛車に出るオーナーもいるということ。対人関係の難しいところ。)このことが大きなストレスとなっていった。
 ストレスはこれだけではなかった。いわゆるCVSでの営業マンはスーパーバイザーといい、担当の店舗の販売指導を行う、一見かっこいい職業なのだが、厳しい競争社会で昼夜休む暇がない。休日も店から引切り無しに電話があり呼び出しされる。店員が急に休めば、代わりを頼まれてしまう。真面目人間だとサービス残業をやるしかなく疲れとストレスが溜まる一方である。しかも、これらの過重労働を黙認しているブラック企業が多い。
 
 これらの話しを聞いて間もなく、彼の家から息子が自殺をほのめかす書置きをして家出しようとしている旨連絡を受けた。これは尋常じゃないことを知り、何とか解決策がないものかと家族共々接触を図ることにした。
 彼の職場と私の家とは少し遠距離であったが、隔週ぐらいに彼に合い、家族と一緒にランチを共にし、お互いの意思疎通をはかることにした。その他情報交換はメールや電話でのやり取りをこまめにやることを心掛けた。
 普段生活をともにしている奥さんには、もう会社を辞めたい、死にたいなどと訴え、極度の鬱の症状が明らかであったが、私が接する限り正常そのもの、恐らく会社や店でも同様の振る舞いをしており、鬱が発症しているとは誰も気付かなかった。その事が上司の誤解を招き、業務の軽減や移動を訴えても本人の甘えにしか受け止めてもらえなかったし、益して休職願いを出せる状況に至らなかったのではないか・・・。

 本人も病気であることを認め、精神科医の診断を受けた結果、うつ病ではなくストレスによる適応障害であると言われ、こともあろうにその医者は“病気じゃない、要はあんたのやる気の問題だ”と言ったそうだ。また、別の日に家族と一緒に相談に行った時、面談の後で“いい年して親なんか連れて来て・・・”と言ったそうだ。その事があってから病院に行くのも嫌になったとのこと。
 私も本人の苦しみも理解せず、精神科医らしからぬ発言には怒りを覚えたが、ネットや書物を調べて分かったことだが、うつ病と適応障害とは症状は同じだが、違う病気でうつ病はホルモンのアンバランス等で精神状態が不安定になる病気で、適応障害は職場環境や家庭環境などのストレスに対応できず鬱状態になる病気であること、また、適応障害はそのストレスを取り除くことが出来れば必ず治る病気である事、勿論そのための休職も傷病手当金の制度などの申請も可能であることを知った。
 そこで本人のストレスを取り除くためには休職し静養するしかないと思い、本人を説得し家族と一緒に精神病院に掛け合って入院治療すること、診断書を書いてもらい休職申請することにした。しかしながら、入院日が決まり、手続きする段階になって、どうしても休職してまで入院したくはないと本人から断ってきた。休職申請も会社に出していなかったので、そのまま一歩も踏み出すことが出来ず、しばらくの間陰鬱な日々が続いた。 
 本人の意思としては、休職後の保証が何もない不安と退職しても再就職の困難さ、その間のお金の問題等々考えるとどうしても踏み切れない事、それに好きでこの道に入り、20年以上もやって来たので未練が残る事であった。休職後の心配はその通りなので、実際のところどうなのか、厚生労働省の出先である近くの労働局に法的にどのように保証されているのか色々なことを教えてもらった。役所もこの種の相談が多いのか、懇切丁寧に教えてくれ、もし、会社とうまくいかなければ役所からも会社側にアプローチ可能との心強い返事を頂いた。
 
 このような状況の中、たまたま会社の組合が行った職場でのストレステストで彼の異常が会社側に伝わった事、また、電通の過労自殺が問題視されていることなどで、当会社も労働環境改善の動きがあったらしい。その結果、彼の担当業務も大幅に軽量化され、土日の休業も認められ、十分な休養が取れるようになった。
お蔭で体力も回復し鬱状態も改善してきた。彼も自分で決心したこともあって意欲も回復してきた。2ヶ月もすれば、また元の業務状態に復帰することが出来た。最近、会社の全国営業マンの売り上げ額No.1になったとの報告あり、嬉しい限り。(おでん、恵方巻、おにぎり、ウナギ弁当などのキャンペーンセールの売り上げと思われる?)
 発症から約1年近くかかったが、適応障害に悩んでいた人を救うことができたことは嬉しい。
 「命の大切さ」を訴え、患者さんと向き合って来られた日野原重明先生のようにはいかないが、本人の身になって、とことん向き合い、とことん寄り添うことの大切さを知ることが出来た。

『よき眼と耳、暖かい手と配慮の心、しみ込むような言葉を持ち、 患者と家族に接したい。』  
日野原重明先生 名言集より

 新約聖書 ルカによる福音書 10章27節
『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、
また、隣人を自分のように愛しなさい。』
 
 
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会社は何のために、誰のためにあるの?・・・

2017/07/29 12:00
 またもや長時間労働による犠牲者が出てしまった。
 東京オリンピックの会場となる新国立競技場で働いていた23歳の男性建設作業員が、3月突如失踪した後、自殺していることが明るみに出た。一昨年の12月、電通の高橋まつりさんが同様の長時間労働により自殺を図ったことが問題となったばかりだ。
  このような過酷な労働を強いられている人、最近は若い世代に、日本の社会全体にまで蔓延しており氷山の一角に過ぎない。
  自分のスキルを活かし、将来を夢見て無理に無理を押して頑張ったが故に、体がズタズタになり、精神力まで蝕んでしまったのだろう。家族から見れば、大手企業だから大丈夫と思うし、本人からは「親には心配させまい」という想いで悲観的なことは言えず、自分一人で背負い込み、自らを追い込んで行ってしまったのだろう。
 
いずれも自殺直前の労働時間は月200時間を超えていたという。長時間労働には深夜勤務や徹夜残業、休日も取れないという過酷な勤務実態であったと思われる。こんなこと会社側は見て見ぬふり、残業申請は規定の80時間で申請されており、サービス残業は自己責任で処理されているからだ。いずれの会社も大手企業に準ずる会社でブラック企業とも言われているが、日本の競争社会では以前から問題になっていることだが大手企業であっても(大企業だからこそかも知れない)大なり小なりサービス残業による長時間労働が当たり前のようになっている。
 
この2例について詳しく知っている訳ではないが、理解できないことがある。
 一つは新卒の新入社員に対する社員教育はどうなっていたのか。1年も経たない内に一人前の、それ以上の過酷な労働を強いることがあり得るのだろうか?
 もう一つは、本人が限界を感じ、周囲にSOSを発信していたのに、誰も助けられなかったのか?

 「働き方改革実現会議」なるものが政府主導で今年の3月(H29.3.28)に開かれたが、単なる残業時間の規制、制度の見直しだけで良いのだろうか? そうではなく、もっと基本的なこと、会社は何のためにあるのか? 誰のための会社なのか? それこそ会社とは何かの原点に立ち返って考え直して欲しいと強く感じる。
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存在そのものを抹殺された・・・劉 暁波 氏

2017/07/26 09:16
劉 暁波 氏((リウシアオポー)
   ・・・1955.12.28〜2017.7.13(61歳) 吉林,長春生


 残念ながらノーベル平和賞受賞の劉暁波氏が死去された。
共産党一党支配の中国で、一貫して非暴力で民主化運動を訴え続けた劉氏、天安門事件後、多くの活動家は亡命したが、国内に踏み止まって言論による民主化運動を続けてきた。
 獄中末期がんと診断され、関係者は国外での治療を政府に訴えたが許可されなかった。
何故なら、国外で死なれては、世界中の人々に哀悼の声が高まり、英雄扱いにされることを中国政府は極めて恐れたのだろう。
 中国当局は家族の意思を無視し(?)、劉氏の遺体を火葬とし、遺灰は海に蒔かれた。国民には亡くなったことすら一切報道していないし、劉氏の旧宅周辺を立ち入り禁止とし、劉氏への「哀悼」の機会すら奪おうとしている。また、すでに共産党政権は劉氏に関する情報や党に批判的な言論を徹底的に消去した。
 これらのことは、劉氏がこの世に存在したこと自体を抹殺する行為なのだ。
 なぜ、中国共産党はこれほどまでに劉氏を恐れているのか?
 どこの誰もが、自由と平等を望む。しかし、中国では、お金を稼ぐ自由、遊びに出かける自由、何でも食べられる自由、そんな普通の庶民の生活の自由は認めるが、言論の自由、特に共産党政権に異論を唱える人達の自由は与えらず囚われ、抹殺される。
 これが中国共産党一党支配の権力側の価値観なのだ。そんな価値観は間違っているといくら他国のものが言っても、内政干渉と受け入れようとしない。
 経済大国に伸し上がった中国、やむを得ず付き合わざるを得ない政府、こんな価値観の違う国と仲良くなんかできるのか? ますます大嫌いな国になってしまった。・・・・・

劉氏の魂は永遠に残り、いずれ中国国民も目覚め立ち上げるであろう!

  新約聖書 マタイによる福音書 10章28節
「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。
 むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」


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慈しみ深い 友なるイエスは・・・讃美歌493

2017/07/24 09:05
 キリシタン大名などかなり深刻に長々と書いてしまったので、ここでちょっと一息、コーヒーブレイクとしましょう。
 少し疲れたり、落ち込んだりすると夜眠れなくなる時があります。こんな時はいつも讃美歌を聞き、聖書を少し読むことにしています。
讃美歌21 [493番」

 いつくしみ深い 友なるイエスは
うれいも罪をも ぬぐい去られる
悩み苦しみを かくさず述べて
重荷のすべてを み手にゆだねよ

いつくしみ深い 友なるイエスは
われらの弱さを 共に負われる
嘆き悲しみを ゆだねて祈り
つねに励ましを 受けるうれしさ

いつくしみ深い 友なるイエスは
愛のみ手により 支えみちびく
世の友われらを 捨て去るときも
祈りに応えて なぐさめられる。


メロディはこちら(You Tube)⇒https://youtu.be/491lIVCYwF8

  新約聖書 マタイによる福音書 11章28節

『疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。』


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日本初のキリシタン大名はこんな人だった・・・大村純忠

2017/07/22 15:18
 1549年にフランシスコ・ザビエルが日本に上陸し、はじめてキリスト教布教のためにやってきた。ザビエルに直接影響を受けたと思われる大名に、大村純忠大友宗麟がいる。
 彼らは南蛮貿易とキリスト教布教という二足の草鞋を履き、南蛮貿易では成功を収めたが、キリスト教の布教では様々な問題を起こし、お家滅亡の危機に落とし込むことになった。

大村純忠(1533年天文2年〜1587年天正15年、肥後の国生)
 日本初のキリシタン大名と言われているが、はたしてキリシタンとして評価して良いのか迷うところだが書きとどめておきたいと思う。
 
 戦国大名で最初に南蛮貿易を始めたのは、肥前の国・平戸の松浦隆信で、キリスト教の布教を認め、ポルトガル船が来航するようになり南蛮貿易で栄えました。キリスト教信者も200人余りに増えてきたが、松浦氏自身は熱心な曹洞宗でキリスト教を嫌った。1561年ついに仏教徒とキリスト教徒がぶつかり、ポルトガル船の船員が殺害される事件が起きた。この事件を機に南蛮貿易は断絶することになった。
 その後、肥前の大村地区の大村純忠は弱小勢力ながら、佐世保湾の寂れた漁村の横瀬浦を対外貿易の拠点としてポルトガル人に提供し、南蛮貿易が盛んになった。
 
1563年、純忠は宣教師からキリスト教について学んだ後、家臣とともにコスメ・デ・トーレス神父から洗礼を受け、領民にもキリスト教信仰を奨励した結果、大村領内では最盛期のキリスト者数は6万人を越え、日本全国の信者の約半数が大村領内にいた時期もあったとされる。このようなキリスト教布教政策によって南蛮貿易は益々盛んになり、大村領内の財政は一気に潤っていった。
 
 したがって、純忠の入信についてはポルトガル船のもたらす利益目当てという見方が強く、また、彼自身の熱心さが高じて、領内の寺社を破壊し、先祖の墓所も打ち壊すような過激な行動に出ることもあり、また、領民にもキリスト教の信仰を強いて僧侶や神官を殺害、改宗しない領民を殺害したり、土地を追い払うなどの事件が相次ぎ、この様な純忠の暴挙に対して、家臣や領民の反発を招くことになり、反乱軍に町を焼かれ、純忠の館も襲撃を受けることとなった。 このような純忠の信仰者とは思えない行動が積み重なり、やがてキリスト教を危険視する要因となってしまったようだ。
 遂に、純忠が長崎港周辺の土地をイエズス会に寄進したことが引き金となって、秀吉にキリスト教不信の疑念を与え、1587年、バテレン追放令が出されるに至った。

 一方、純忠の信仰は純粋なところあり、受洗後は妻以外の女性と関係を持たず、病で衰えた時には神父を呼んで来世の事をたびたび話して欲しいと願い、それを聞きながら大いに満足して涙を流した。死を悟っては、領内に拘束していた捕虜200名を釈放し死にいたるまで忠実なキリスト教徒であろうと努力していたことも事実である。

 ザビエルが伝えたキリスト教はいかなるものであったのか?
 1517年のマルチン・ルターの宗教改革によってプロテストされたカトリック教会は、清貧、貞潔、全世界への布教を誓ったイエズス会を正式な修道会として認可し、教会の最前線としてカトリック復興運動に多大な貢献を果たすことになる。
 イエズス会士達は高い学識と不屈の精神を持つ、戦闘的聖職者集団であった。彼らはローマ教皇並びにポルトガル国王の承認のもと海外に派遣された。 
 ザビエルも2年間の日本滞在の間に布教と併せて日本人の調査・研究を行い、貿易と宣教は不可分であることを認識した。その後の宣教師たちも「郷に入れば郷に従え」を実践し、異文化の尊重、現地の流儀に沿った適応主義で対応した。 キリスト教への入信も、貿易での利益目的であっても「真の信仰に入るのであれば」と言う事で入信を許可したと言われる。
 このようなイエズス会の誘いで、大村純忠というキリシタン大名が誕生したと思われるが、なぜ、神社仏閣を焼き払い、僧侶や神官を殺害したり、領民を強制的に改宗させ従わなければ殺害するなどと言うような、大胆不敵な、排他的狂信的な暴挙はどこから来たのか理解し難い。このことを宣教師たちは認めていたのであろうか???
 優等生と言われる高山右近も領内においてこのような神社仏閣を破壊したり、僧侶、神官を迫害したことが記されており、その根拠・理由はいかなるものであったか私には理解し難い。


大友宗麟(1530年享禄3〜1587年 天正15、豊後の国)
 ちょうど同じ年代に活躍した大名に大友宗麟がいた。彼はザビエルに引見したことがきっかけでキリスト教にであった。彼も南蛮貿易で軍事的、経済的な利益を得るために布教を奨励した大名であるが、悪妻にはばまれ入信したのは晩年の1578年(48歳)であった。布教に熱心のあまり、日向の国をキリスト教国にしようと、教会や司祭たちの住居を建て、毎日のようにオルガン音楽ミサを行った。
 その一方で、大村純忠と同様、神社仏閣を徹底的に破壊したり、仏像や経典なども消却するなど、旧来の宗教勢力を排除した。がこれが家中の反発を招き、大友家が纏まらなくなる。やがて大友家は滅亡寸前にまで追い込まれてしまうこととなった。




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神にも、主君にも忠実だったキリシタン大名・・・黒田勘兵衛

2017/07/20 14:34
黒田勘兵衛((1546年天文15年生〜1604年慶長9年)
 黒田 勘兵衛は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。
軍事的才能に優れ、豊臣秀吉の側近として仕えて調略や他大名との交渉など、幅広い活躍をする。竹中半兵衛とならび、秀吉の参謀と評され、後世「両兵衛」「二兵衛」と並び称される軍師であった。

 先祖は近江国(滋賀県)の武士出身で流浪の末に、祖父の代に姫路に辿り着いた。父・職隆(もとたか)は御着城主小寺政職(こでらまさもと)氏に仕官し家老として重用されていた。
 
 勘兵衛22歳にして、小寺家の従姪・光と結婚し、同時に家督を継ぎ、小寺家の家老の座に着く。織田信長の将来性をいち早く見抜き、羽柴秀吉には弟同然と呼ばれるほどに信頼される。
 天正6年(1578年)に荒木村重が摂津有岡城で信長に謀反すると(有岡城の戦い)、秀吉が村重と旧知の仲でもある官兵衛を使者として有岡城に派遣し翻意を促したが罠に落ち、勘兵衛は1年以上も土牢に幽閉され、死と隣り合わせの日々を過ごす。
 出獄後は小寺家と縁を切り、秀吉の軍師として中国攻めに参加、その後起こった本能寺の変を真っ先に知り、「中国大返し」を実現、天王山の戦いで明智光秀を討ち、秀吉の天下取りを演出する
 天下統一が近づく中、秀吉から「次の天下を狙う男」として警戒されていることを知るや44歳(1590年)の若さで家督を息子・長政に譲り、あっさり隠居する。その後は、剃髪し如水(じょすい)と名乗るようになる。関ヶ原の戦いの際には、領地である豊前国(大分県)中津にあって、牢人兵を率い九州を席巻、最後の大勝負に出るが、長政の活躍で関ヶ原が半日で大勢が決し、天下取りは夢に終わる。戦の後は全ての恩賞を断り、長政に与えられた筑前国(福岡県)福岡で静かな余生を送り、59歳(1604年)の生涯を閉じる。
 
 勘兵衛は同じ豊臣の側近である高山右近の勧めで洗礼を受けたが、その芽生えは、有岡城で一年以上に渡る幽閉の中、自然の生命の力強さ、天地万物を想像し人間を特別な存在として造った神(デウス)を感じるきっかけとなったと言われている。(洗礼名はシメオン、30歳過ぎていた)
 勘兵衛はキリシタンとして一夫一婦制を重んじ、生涯側室を持たなかったと言われている。
また、1586年九州攻めの先鋒として出陣の際、苦境にあったイエズス会を助勢し、家族や他の武将にも入信を勧め、長男の長政も洗礼を受ける。
 一方で、秀吉がキリスト教禁教令を出し(1587年)が、直接キリシタン大名に棄教を迫ることはなかったが、ただ、自らの地位を保つためにほとんどの大名が棄教し、勘兵衛も幹部の立場上棄教せざるを得なかった。これは、秀吉の側近中の側近という立場上、泣く泣く棄教(表面上)したのかも知れないが、お家安泰のためにはやむを得ない選択だった。 (信仰を貫くことは大変なことです。)
 秀吉没後の隠居後は(棄教したことも隠居の一因では?)、イエズス会の住院を建てたり、博多に教会を建てたりとキリシタンとしての活動を再開した。

 1604年(慶長9年)、京都伏見藩邸にて死去。(享年59)
辞世の句は「おもひをく 言の葉なくて つゐに行く 道はまよはじ なるにまかせて」
 死の間際、如水(隠居後の名)は自分の「神の小羊」の祈祷文およびロザリオを持ってくるよう命じ、それを胸の上に置いた。そして、
 ・自分の死骸を博多の神父の所へ持ち運ぶこと。
 ・息子の長政が領内において神父たちに好意を寄せること。
 ・また、イエズス会に2,000タエス(約320石に相当)を与え、うち1,000タエスを長崎の管区長に、1,000タエスを博多に教会を建てるための建築資金に充てること。また、家臣の殉死を禁止している。
葬儀埋葬は家臣や宣教師たちによって厳かに行われた。
博多の教会の宣教師たちは如水の遺骸を、博多の町の郊外にあって、キリシタンの墓地に隣接している松林のやや高い所に埋葬した。主だった家臣が棺を担い、棺の側には長政がつきそった。
 如水の弟で熱心なキリシタンであった黒田直之が十字架を掲げ、直之の息子と、徳永宗也の甥が松明を持ち、ペロ・ラモン神父とマトス神父は祭服を、修道士たちは白衣を着ていた。
 墓穴は人が200も入るほどの大きなもので、その中に着いたのち宣教師たちは儀式を行い、それから如水を埋葬した。同じ夜、長政は宣教師のもとを訪れ、葬儀の労に謝し、翌日には米500石を贈った。その15日か20日後、長政は仏式の葬儀もおこなっている。

  『だれも、二人の主人には仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなた方は、神と富とに仕えることはできない。』
      新約聖書「マタイによる福音書 6章24節」


 戦国時代のキリシタン大名たちは、神に仕えるか、富(主君)に仕えるか、厳しい二者択一を迫られた。神を選べば直ちに失脚、領地は没収、島流しか殉教の道しかない。
 黒田勘兵衛は絶体君主の命に従い、いとも簡単に棄教したと言われるが、聡明な勘兵衛としては、お家安泰(富)のためには賢明な決断であったように思う。しかし、そのことは神を裏切ることであり、キリシタンの教えを無にしてしまうことであることも勘兵衛の心の底にあったと思われ、後、キリシタンとしての働きをなし、忠実なキリスト教徒であろうとした。このことは勘兵衛の没後の遺言や家臣、宣教師あげての葬儀、埋葬の様子から伺えます。また、辞世の句からも、自分の想いが報いられなかった無念さを押し殺して、主にお任せする道を選んだことは、尊敬に値する立派な生き方であったと思う。








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悲運の姫・・・細川ガラシャ

2017/07/17 17:03
 細川ガラシャ(洗礼名)は、1563年明智光秀の三女として生まれ,玉子(珠子)の名をうけました。父光秀は織田信長の信頼を得て次第に出世し、玉子も幸せな家庭で裕福な少女時代を過ごしました。
 1578年に織田信長の命で細川藤孝の長男、忠興と16歳で結婚、いわゆる政略結婚でした。しかし、彼女が20歳の時、1582年父明智光秀が本能寺の変を起こし、豊臣秀吉によって敗北を喫しました。その結果、一族全員が自刃し、細川家に嫁いだ彼女一人が生き残ることになりました。
 細川家は、光秀の娘である玉子を離縁し、丹後の味土野に幽閉、謹慎の意を表しました。(彼女を守るためだったともいわれている) その後、秀吉の許しにより、1584年忠興と復縁し、大坂の細川邸で、またしても軟禁に近い状態を強いられたのです。
 
 1586年夫忠興が九州に出陣した際、この期を利用し侍女と共に身を隠しつつ教会へ行き、キリスト教の教えを聞き、満足し受洗を強く希望しましたが、司祭は彼女を誤解し洗礼を保留したために願いは叶いませんでした。
 その後、1587年の豊臣秀吉がバテレン追放令を出し、宣教師たちは20日以内に日本を離れるよう命ぜられたのです。そこで、外出を禁じられていた彼女は、殉教も厭わない強い意志を大坂教会の責任者に書簡で伝え、自宅で侍女、清原マリアから代洗という形で洗礼を受ける許可をいただき、受洗し晴れてキリスト教徒となり信仰に生きる人となりました。洗礼名をガラシャ(恩寵/恵みの意)は、本名の玉子にふさわしい名前を頂いたのです。
 ガラシャは確固たる信仰を得て、反キリシタンの夫との離婚を希望しましたが、教会から思い留まるよう説得され、その後の結婚生活は13年に及びました。
  
 1600年夫細川忠興が徳川家康の東北上杉氏討伐に従った間に、秀吉の重臣石田三成は忠興を味方につけるために妻ガラシャを人質として大坂城に連れて行こうとしましたが、ガラシャは応じませんでした。三成側は大坂方の誘いを拒否したガラシャの屋敷に火を放ちました。ガラシャは逃亡の誘いにも断り、死を覚悟しましたがキリシタンの教えでは自害が禁じられていたため家臣に胸を突かせ37歳でこの世を去りました。
(この死は自害ではありませんが、自分の意志で家臣に殺人を犯させたことは自殺行為と同じこと、教会としては認めることは出来ず、殉教死の取り扱いはされていないようです。)

 大坂城近くにあった細川家邸宅の一隅に、ガラシャが壮烈な最後を遂げたゆかりの地『越中井』が残っています。そのそばにガラシャの辞世の句碑が立っています。(現在のカトリック玉造教会大聖堂の北西)

    ちりぬべき時しりてこそ世の中の
      花も花なれ 人も人なれ

 
 句の意味は「花も人も散りどきを心得てこそ美しい」という意味だそうです。
 
 ガラシャと忠興夫婦は比較的仲が良かったようで3男2女の子をもうけていますが、忠興は典型的な戦国武将で主君に忠実で、信長、秀吉、家康とお家存亡を賭けた政略のため、ガラシャが犠牲とならざるを得なかったこと、また、ガラシャが美人であったため、嫉妬深くもあったようです。一方ガラシャは元々は怒りっぽい性格で意志の強い女性だったようですがキリストの教えを知ってからは謙虚で忍耐強くなったようです。また、キリスト教について熱心に教会とやりとりし、書物もよく読み、信仰を深めていったようです。
 とにかく、戦国乱世に翻弄された悲運のお姫様でしたが、最後はキリストの福音に接し、自らキリストへの狭き門をたたき、その命(いのち)に通じる門が開かれたことは幸いです。必ずや天国に導かれたことと信じます。

『狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、
 その道も広々として、そこから入る者が多い。
 しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。
 それを見出す者は少ない。』

 新約聖書 『マタイによる福音書 7章13〜14節』

 
 
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義の人・慈しみの人・・・高山右近

2017/07/15 16:35
 高山右近は1552年、摂津の国高山(現大阪府豊能町高山)で出生。それはフランシスコ・ザビエルが日本に初めてキリスト教を伝えて間のない時でした。右近の父飛騨守はキリスト教に改宗し、右近も12歳にて受洗し、義の人=ユストという意味の洗礼名を受けました。
 飛騨守は、摂津の国の高槻城の城主となり、その後、それを引き継いだ右近は織田信長や豊臣秀吉に仕えました。しかし、1587年突如、秀吉のバテレン追放令でキリシタン大名は棄教を迫られたが、右近はこれを拒否しました。結局、右近は所領と財産を失い素浪人となり、同じキリシタン仲間の小西行長の庇護を受け後、前田利家に招かれ金沢に移り住むことになりました。
 1612年徳川家康による禁教令が出され、2年後にはキリシタン国外追放令が出され、この時も右近は信仰を捨てず追放の道を選びました。
 長崎で総告悔をしマニラへ旅立ちましたが、厳しい船旅は1ヶ月以上に及び無事マニラに着いたものの長い船旅と慣れない気候のせいで熱病にかかり1615年64歳で帰天しました。
 地位も名誉も祖国も失う中で、右近が歩み続けたのは、キリストに従う義の人の道でした。

 画像<慈しみの人>
 高山右近は、領内に宣教師を迎え教会やセミナリヨ(小神学校)を建て布教活動に力を注ぎ、また「人はみな平等」というキリストの福音をもとにした治世を実現しようとしました。父飛騨守とともに貧しい人や病人などの救済活動を行い、領民から敬われ、慕われていました。
 人を、特に貧しい人を慈しむことがキリストの教えであり、為政者の基本であると心得ていた右近の生き方が人々の共感を呼び、その領地ではキリスト教が広まっていきました。 
 1581年頃には領民の72%にあたる18000人がキリシタンとなったそうです。

<列福式> 
 2017年2月7日、大阪城ホールにて、戦国時代のキリシタン大名「高山右近」の列福式が全国から一万人の人が集まり、右近列福の喜びを分かち合いました。
 1615年マニラで殉教した高山右近が、402年の時を経てようやく[福者]の列に加えられたのです。右近は戦国の困難な時代に宣教師を助け、保護し、十字架につけられた主を死に至るまで証しした殉教者であると認められたのです。

 戦国時代の大乱世のただ中、キリストの福音を真に受け入れ、どのような迫害をも恐れず、信仰を貫き通した高山右近は、正に「義の人」「慈しみの人」であり、私たちもこのことを思えば、どのような困難にも耐え、信念を貫かなければならないと痛感した次第です。

     『義のために迫害される人々は、幸いである。
      天の国はその人たちのものである。』
       (マタイによる福音書5章10節)    
 


画像高山右近・志野夫婦の碑(高山コミュニティセンター)
2015年は高山右近没後400年の年となり、豊能町内の各種団体参加により「高山右近没後400年記念実行委員会」を立ち上げ、生誕の地・高山に、この町特産の御影石を使って、高山右近・志野夫婦像を建立しました。
 高山夫婦の生誕地、豊能町高山や後城主となった高槻・茨木も摂津の国の北部で、奇しくも私の郷里の摂津山田はその中間に位置し、浄土真宗の盛んなところでした。右近の父飛騨の守も浄土真宗でしたが、後キリシタンに改宗したとのことです。子供の頃、キリシタンのことは全く教えてもらえませんでしたが、不思議な縁を感じます。
 
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花に魅せられて・・・トリカブト

2017/07/11 14:42
 数年前の8月中旬、涼を求めて志賀高原東館山を目指す。
東館山山頂へは、発哺温泉からゴンドラリフトで行くか、高天ヶ原からサマーリフトで山頂前まで行き、少し歩いて頂上まで行くかどちらか選べる。7月ならば高天原一面にニッコウキスゲ咲き、花々の上を行く空中散歩の醍醐味を楽しめる。
 山頂付近には沢山の高山植物が集められ、珍しい花が見られる。 ここで初めて出会ったのがトリカブトの花、毒があるとは思えない美しさで虜になってしまった。
画像トリカブト
毒があり危険なイメージあるので、花の姿は印象に残りにくいが、じっくり花を見てみると、下向きで筒状の鮮やかな色をした花びらを持っており、かわいい姿をしているので写真を撮るのに夢中になってしまう。


画像花言葉:『騎士道』『栄光』『復讐』『厭世家』『人間嫌い』
トリカブトは、花姿が騎士の兜に似ていることにちなんで「騎士道」「栄光」という花言葉を持っている。
和名は花の形が被り物「鳥兜」に似ていることから名付けられた。
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花に魅せられて・・・コマクサ

2017/07/11 10:42
 高山に咲く美しい花、他の植物が生育できないような砂礫地に生え、冬の寒風吹きすさぶ厳しい環境に生育する。
「高山植物の女王」とも呼ばれ、その花の形が馬(駒)の顔に似ていることから和名をコマクサ(駒草)と名付けられた。
 ただ、薬のない頃、コマクサは結核や肋膜炎の特効薬として珍重され、花の美しさよりも薬草として盗掘された。その後も山野草のブームで盗掘は続き、コマクサは絶滅の危機になった。
 草津白根の地元ではこの絶滅の危機を何とか防ごうとし、民間のボランティアでコマクサ保護、復元を進める活動が始まり、中学生の協力によるコマクサ復元活動によって白根山のコマクサ群生が見事に蘇ることが出来たそうです。
 
画像コマクサ
瓦礫の中に這いつくばるようにしっかり根を張っている。その根の長さは50〜100cmと言われる。
花は馬の顔にほんとうによく似ていて、かわいいと言うよりきれいと言った方が良い。



花言葉は「高嶺の花」 「誇り」 「気高い心」 「貴重品」
開花時期は7月〜8月

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コマクサ群生地周辺散策コース
 最近まで白根山の火山活動のため周辺の滞在は禁止されていたが、17年5月頃より解除されたようだ。
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 群馬県は自然豊かでちょっと足を延ばせばこんなきれいなお花畑が見られる。 少し前になるが、隣組の人達を連れて白根山に連れてきたことがある。 草津や白根に来ることは良くあるが、意外なことにこんな素晴らしいコマクサを見るのは初めてと言う人ばかりであった。山を散策した後、近くの万座温泉に立ち寄り、みんな喜んでくれたことを思い出す。


花つづく









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安心安全な国造りはどこに?・・・

2017/07/07 09:51
5日から6日にかけて九州北部を襲った集中豪雨は、各地で河川の氾濫(はんらん)や土砂崩れを起こし、死傷者や行方不明者が発生した。観測史上最高の雨量を記録した福岡県朝倉市や大分県日田市では、大きな被害が出た。
風景が変わってしまった。車や家屋が土砂や大量の大木に埋まる。田畑やハウスは水の中。土砂崩れに川の氾濫、道路は寸断され、停電、電話の不通で集落は孤立し、救助を求める人人人。それでも降りやまない雨、濁流が押し寄せてくる。新聞テレビを見ているだけで恐怖を感じる。

毎年のように繰り返される台風、風水害の惨事、これまでにない集中豪雨と言って済まされてしまう。
日本全国の危険個所はすでに把握されていると聞く。 しかし、一般住民には公表されていない。なぜなら直ぐに対策しなければ役所の責任問題になってしまうからだ。 県や市町村に安全対策の予算は限られている。
東日本大震災を機に安心安全の国造りの方針がスローガンに挙げられたが、予算の不正使用や無駄遣いが目立ち、安心安全対策が二の次になってしまっている。

被災された方々は気の毒だ。降って湧いた災難、怒りをどこにぶつければ良いのか、政治、行政の貧しさがこの現実だ。
日本は決して平和で、安心安全な国ではないようだ! 
そう思って日常生活を心がけて行動しよう!


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都議会選挙

2017/07/04 09:51
昨日の新聞見出しすごい!「小池知事派 過半数」、「自民惨敗 過去最低」、「安倍一強に大打撃」、「首相の求心力 低下」・・・疑惑や不祥事で自滅
一昨日行われた都議会選挙、我々の予想通り、小池知事率いる都民ファーストが圧勝、そして小池知事の支持勢力が過半数を超える79議席を占めた。それに引き換え自民は改選前の半分にも届かない23議席で惨敗の結果となった。
地方議会の選挙であり、国政とは関係なしと言うことで、安倍総理の責任はないと言う。
しかし、自民党内からは首相批判の声、「党本部は関係ないとはならない。負けたことを総括しないと次も負ける」「すべては安倍さんが招いた」「批判、失望、積もった思いの表れだ。掛け声や勢いで政権を運営してきたが、国民の声を聴いて出直すしかない」
当の安倍さんは、選挙応援最終日になって初めて、JR秋葉原駅前で街頭演説に立った。そこで聴衆の一部から「辞めろ」「帰れ」の激しいコールに対し、「こんな人たちに負けるわけにはいかない。」と声を張り上げた。おそらく、批判派の一部の妨害程度と思ったのだろう。決してそうではなく一般庶民の声とは思ってもいなかったのだろうか? そんなに自信があったのかと呆れたものだ。
我々一般庶民、選挙はどうでも良いと思っていた人たちも、最近の国会答弁、大臣級の失言、失態に辟易していた。安心安全と思っていた世の中、今や不安、不穏な空気が漂う。そんな時に国民を馬鹿にしたような発言、将来心配な法案を強引に通過させる。
正に政権のおごり、安倍一強でごり押ししてきたが、国民の目はごまかされない。

アメリカのトランプ大統領の強権政治に国民やメディアが反発する。
中国の習主席の一党独裁政治は民主主義勢力を抑え込む暴挙に出て、香港返還20周年においては、「中央への挑戦許さぬ」と独立派を痛烈に非難した。 民主主権を守ろうとする人たち負けないで頑張れ!と叫びたい。
このような大国の内情が不穏になって、それが外に向かわなければ良いのだが、自国中心はいずれ排他主義となり国と国がぶつかり合いうことになってしまう。 そうならないよう願うばかりである。
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花に魅せられて・・・礼文の花々

2017/07/03 15:08
6月から7月にかけて、北海道礼文島の花々は素晴らしい。
厳寒の冷たい風が吹きすさぶ中、じっと耐え抜いた花々は遅い春を迎えて一斉に色とりどりの花を咲かせる。
中でも2000〜3000m級の高山でしか見られない高山植物が見られ、一般のハイカーでも高い山に行かなくても珍しい花に出会えるので嬉しい。

画像レブンアツモリソウ
レブンアツモリソウは絶滅危惧種に指定され、保護されています。島の北の方に群生地があり手が届きそうな所から鑑賞できます。
礼文のアツモリソウ(5月下旬〜6月中旬)は真っ白なかわいい顔をしており、少女のような慎ましさ、赤子のようなあどけなさをしています。残念なことにこんなかわいい花を盗掘していく人達がいるそうで悲しいです。
今日の新聞では、「クロワッサンにリボンを結んだような赤紫色の花を咲かせる」「野生ランの王者」と言われる一般的なアツモリソウが紹介されていました。種類によってずいぶん見方も変わるものですね。
いずれも、源平合戦の昔、一の谷で敵の熊谷直実に討たれた平敦盛が背負った武具を連想し、アツモリソウと名付けられたようです。平家滅亡の悲劇のシンボルとなったが、絶滅しないよう祈ってやまない。

画像レブンウスユキソウ
レブンウスユキソウ(6月中旬〜7月初旬)は白い花びらのように見えるのは苞葉、中ほどの花束が頭花。頭花は周囲が雌花で、中央に両性花があり、雌花が結実する。
花はヨーロッパのエーデルワイスによく似ているが、花びら(苞葉)の幅が厚い。


画像ミヤマオダマキ
オダマキの花の色は赤色、白色、紫(青)色がありますが、私が礼文や信州でよくお目にかかったのは写真にある青色のミヤマオダマキだけです(他に白とかピンクもあるそうです)。
花言葉は色によって違っているので贈る場合には注意が必要とのことです。オダマキの総称の花言葉は「愚か者」だそうです。紫色は「勝利」で、誕生日は5月14日です。
オダマキの花の形が、苧(カラムシ)と麻(アサ)でできた糸玉(苧環)に似ていることから、苧環(おだまき)という名前になったそうです。

画像クロユリ
「ユリの花」と言えば、真っ白で高貴、優美、清楚などのイメージがあります。お見舞いの花やお葬式の花、イースターなどの行事でもよく使われ親しまれている花です。
それに引き換え、クロユリは不吉な花と言われちょっとかわいそうな花です。もっともユリと言っても色が違うだけでなく、元々属が違うそうです。
信州の高山で見たクロユリは黄色の斑点の目立つもっと茶色がかった黒ですが、礼文で見たクロユリは黒に近いきれいない色でとても凛々しく見えました。
クロユリの花言葉は、「愛」と「呪い」で、この相反する2つの花言葉は富山の昔話として地元で語り継がれている『黒百合物語』の伝説から来ているそうです。

画像花の宝庫・礼文
日本最北端の島、青い空と海、花々が咲き乱れる花園、2000m級以上の高山でしか見られないような花々が、海のそばから見られるとっても不思議な島、5月から9月にかけ短い夏の間に一気に咲き乱れて嬉しい。    澄海岬(スカイ岬)


花つづく

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花に魅せられて・・・クリンソウ

2017/07/02 11:35
クリンソウはさくら草の仲間で春の花だそうですが、私の想いでは6月中旬、日光の千手ヶ浜の川面に映えるクリンソウに魅せられ何度も足を運びました。
画像クリンソウ
中禅寺湖畔の新緑の森の中、清流が流れ、その水辺にクリンソウが咲く風景は、息を呑むほど美しい風景です。
画像
画像





クリンソウ(九輪草)の名前の由来は、花茎を中心に円状花がつき、それが数段に重なる姿が仏閣の屋根にある「九輪」に似ていることから付けられたようです。
画像








アクセス地図(日光自然博物館)
 徒歩:菖蒲ケ浜〜赤岩〜千手ケ浜 所要約2時間・約4キロ
    (湖畔沿いの山道、急な上り下り、手すりのない場所がある)
 低公害バス:赤沼 〜千手ケ浜(所要時間30分)
 観光船:船の駅中禅寺 〜 菖蒲ケ浜 〜 千手ケ浜

花言葉は「幸福を重ねる」、「物思い」、「物覚えのよさ」、「少年時代の希望」と言われていますが、ピンときませんね。



花つづく
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花に魅せられて・・・月見草

2017/06/27 14:11
今日は花に魅せられて・・・と言うよりも、花に慰められて・・・と言った方が良いかと思います。
ちょうど一年ほど前、月見草が咲いていた頃、今までに経験したことのない出来事に巻き込まれ、夜になると悪夢にさいなまれ、眠れない夜が続きました。
そんな時、優しい人から月見草の鉢植えを頂きました。
月見草の花は待宵草の仲間ですが、竹久夢二の「待てど暮らせど、来ぬ人を、宵待ち草の、やるせなさ」という詩が有名で、宵待草と間違って覚えています。
誕生日が6月21日の人に贈られる花です。
花言葉は「無言の愛情」人目を避けるように夕方ひっそりと花を開くからとか、「移り気」咲き始めの白い花が翌朝のしぼむころには薄いピンク色に変化するからとか、『ほのかな恋』 『うつろな愛』とも言われています。私にとっては「慰めてくれる無言の愛」を感じます。
 大好きな花のひとつです。

画像真っ白な夕闇の月見草
毎晩のように静かに真っ白な花が開き、朝方には淡いピンクになって萎んでしまう、たった一晩だけど精いっぱい清らかに咲き誇る姿をじっと見つめていました。
今年は、病気がちな妻が庭の片隅に生えてきた月見草を毎日のように楽しみにしています。やはり心和ましてくれるようです。


画像淡いピンクの朝方の月見草
  (自作の詩)
日没とともに花開き
 夜明けとともに花閉じる
  はかない命の花なれど
   きよらかに闇夜を照らし
    明日へとつなぐ希望の花


  
夕方から朝方まで撮り続けた写真です。
画像画像画像画像画像画像画像画像








野生の花は絶滅したそうです。大事に大事に育てたいと思っています。


花つづく





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